受験市場から教育多層市場へ [11]
受験市場から教育多層市場へ [10]のつづき。
☆家族市場について、従来はあまり論じる必要がなかった。そのほとんどがコンサバティブ家族で、偏差値と大学進学実績を指標として、日本という国に同化できればよかったのである。
☆だから、栄光学園のように入学後、生徒ばかりではなく保護者に対してもその考えのチェンジを説く会合を設定していた。
☆もちろん、できればクリティカルな家族を中心にネットワークを形成したいのが私立中高一貫校の本意であろう。教育理念に照合するとそうなるのだが、学校の教師が、必ずしも教育理念を行動原理としているわけではない。だから理念と現実がかい離している学校もあるだろう。
☆もっとも、これは受験市場と教育市場が私学市場に優勢に入り込んできていたから、家族市場や私学市場がみえなかったという従来の事情もある。
☆しかし、今日は、私学市場が受験市場や教育市場も考慮に入れながらも、やはり家族問題に対応しなければならい状況が拡大している。
☆かつては、面接なんて不要と受験市場から提案されてきたが、それが、多様多層の家族タイプの入学を可能にした。中学受験の大衆化というのはそういうことだ。
☆私立学校としては排除の論理を行使するのではなく、教育理念に共鳴共感してくれる家族環境にある生徒に入学して欲しいわけである。
☆ところが、面接を廃止し、模擬テストのような入学試験を実施したとしたら、現代家族の4つのタイプすべてが入学可能となるのだ。すると教育理念に基づいた教育ができなくなり、結局最大公約数的欲求である高学歴を満たす教育にならざるを得なくなるのだ。
☆そこで入試問題は非常に重要になる。教育理念を貫いた問題を作成しなければならないからだ。4タイプをきっちり振り分けるというようなことはそもそもできないが、たとえば、麻布は、クリティカル・ベースのリベラルな家族に共鳴共感を得るような学校説明会を実施しているし、そういう入試問題を作成している。コンサバティブ・ベースでクリティカル家族は駒場東邦が選択志向になるだろう。
☆開成は、クリティカル・ベースのコンサバティブ家族が共鳴共振するだろう。武蔵や桐朋は、リベラル・ベースのコンサバティブ家族。慶應普通部はもしかしたら意外にもコンサバティブかもしれない。福沢諭吉だけイメージすればクリティカル家族だが・・・。
☆パニック家族はいろいろな学校を選択するが、たとえば麻布だと、入りにくいだろう。入試問題を集中して考える学習習慣が身についているかどうかも関係してくるからだ。ただ、入学後、パニック家族になることはある。この場合は、学校と重たい対話を繰り返すことになるケースが多い。もちろん、家族と子どもは一心同体というわけではないから、非常に複雑だ。
☆いずれにしても、私立学校としては、このタイプでなければならないという思いは実際にはない。ただし、クリティカルな要素とどれかが組み合わせっていればよいぐらいのゆるやかな選抜の工夫にはなっているはずだ。
☆しかし、結果的に教育理念―選抜方法(入試科目数や面接の有無など)―入試問題の関係密度によって、どのタイプの組み合わせの家族が志向するかは決まってくるだろう。
☆受験市場や教育市場は、選抜方法の多様性と受けやすさを求めるし、入試問題も模擬試験に近いものを要求する。また、両市場にとって、家族のタイプは全く関係ない。消費者として抽象的なあるいは客観的な存在であることが望ましいからだ。そうでなければ市場は拡大しない。
☆ところが私学市場は、パイは決まっているのだ。定員はそう簡単には変えられないのである。
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