« 一日一言 新渡戸稲造【035】 | トップページ | 受験市場から教育多層市場へ [未了] »

受験市場から教育多層市場へ [14]

受験市場から教育多層市場へ [13]のつづき。

☆家族市場の発展途上であること。私学市場がまず家族市場とカップリングを進めることなどについて語ってきた。

☆不思議なことに、あるいは当たり前なのかもしれないが、市場に商品が並ばなければ、法律にもならないし、学者によって研究もされない。つまり政策者の目にも、専門家の目にも入らないのだ。

☆しかし、世界というのは政策者や専門家が見える範囲内であるはずがない。いや、今までの日本社会はそれでよかったのかもしれない。新型インフルエンザの水際政策や専門家の混乱、私学の生贄的な儀式は、何を映し出していたかというと、まさに政策者や専門家の視野を超えたところに世界は広がっていること、そのことを先に知り活動しているグループに私立中高一貫校があること。ガラパゴス的政策者と専門家の姿と事件は会議室で起きているのではないのだと独自のルートで活動している公共的私学人の姿があったわけだ。

☆そして完全にマスコミは、本来の公共的視点をどこかに置き去り、ガラパゴス的政策者と専門家の視点で私学人をスケープゴートととして映し出した。

☆しかし、今となっては公共的私学人が本質的な活動をしていたことに気づいただろう。もっとも、相変わらず、陳謝する様子は政策者側やマスコミには見られないが。

☆家族市場も同じことが言えるだろう。たとえば、男女共同参画社会基本法4条と6条を見てみよう。

第四条 男女共同参画社会の形成に当たっては、社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。

第六条 男女共同参画社会の形成は、家族を構成する男女が、相互の協力と社会の支援の下に、子の養育、家族の介護その他の家庭生活における活動について家族の一員としての役割を円滑に果たし、かつ、当該活動以外の活動を行うことができるようにすることを旨として、行われなければならない。

☆4条の「男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼす」というのは家族においてはコンサバティブ型の家族が想定されている。6条の「家族を構成する男女」というのもそうである。

☆「当該活動以外の活動」つまり家族内以外の活動においても、コンサバティブ家族の様々な問題はなんとかしようとあるから、学校における活動において、家族問題、つまりコンサバティブ家族問題は解決への配慮が社会全体で取り組まれている。家族市場も、たとえば、アダルトチルドレンのような問題については、商品価値を見出しただろうが、これも結局コンサバティブ家族の中でエディプス問題を乗り越えられなくて困難を極めている子どもの成長問題に重なっているのではないか。

☆しかし、家族問題を取り扱う政策者や専門家の目、そしてその視点に追随しているマスコミは、家族問題の世界を見ているわけではない。その中のコンサバティブ型家族問題を切り取っているだけなのである。

☆公立学校には、この切り取られた世界をフィルターとして政策を立てるわけだから、たまったものではない。コンサバティブ家族をつくりあげてきた20世紀型社会構造がすでに転換する時代にあっては、その家族の問題だけを扱うのは幻想に過ぎないということになる。

☆世界では、新たな家族のタイプやそれに伴った問題が生まれている。私立中高一貫校は、帰国生を受け入れ、独自の留学・海外研修ルートを開拓しているがゆえに、その影響を直接受けている。人数という量的に制限があるから、まだ問題解決を自らの手でなんとかしているが、その広いフレームで日本の家族を見ると、実はすでに新しい家族のタイプが生まれる兆しがあることを予見している。

☆あらゆる行為は、どんなタイプであれ、言語パフォーマンスで表現される。言語は独り言を言っても、こうして1人書いていても、他者との関係を包含している。しかし、タイプが違えば、同じ言葉を使っていても、文脈も、文法も、語用も、意味も、感情も、メタファも皆違う。そこをどうやって共訳できるのか。

☆私立中高一貫校が国内の基本理念を包括するけれど、もっと世界に通用する教育理念としての建学の精神にこだわる理由は、そこにある。より普遍的なコードを探し求めなければ、タイプの違う地平をつなぐことができない。そしてそれができなければ生徒を広く集めることができない。CCPが必然的に行われるようになるのは、そういう理由なのだ。

☆受験市場と教育市場は、そこに入り込めない。入り込む必要もない。しかし、問題は偏差値と大学進学というフィルターがあたかも家族問題を解決するように幻想をつくりだすとしたら、それは混乱を招くだろう。

☆しかし、家族市場は発展途上である。このときに政策者と専門家と協働するだけでは、結局受験市場と教育市場もそこにぶらさがることはいとも簡単で、家族問題の壁が立ちはだかってしまう。

☆そうなる前に私学市場は家族市場と協働しなければならない。でなければ壁にぶつかる卵にならざるを得なくなる。同時に壁ができたらあちら側とこちら側の境界線ができ、格差問題が生まれる。経済的格差の問題よりも、どちらの側がシェルターになるのかという問題。

☆私立中高一貫校の普遍理念が、一部の人間の救済にしか役に立たなければそれはパラドクス以外のなにものでもない・・・・。

|

« 一日一言 新渡戸稲造【035】 | トップページ | 受験市場から教育多層市場へ [未了] »

教育と市場」カテゴリの記事