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公立の限界を超えるために[03]

公立の限界を超えるために[02]のつづき。

☆土井隆義さんが、学校教育をサービスだと仮定し、述べているところがあるが、このサービスとしての教育観は、公立学校のもので、私立学校のものとは全く違う。

教育が子どもへのサービスだとすれば、教師はサーバント、すなわち子どもへの奉仕者であり、召し使いです。そして、親や子どもはそのサービスを受けるお客様です。もしそうだとすると、教師には、「いらっしゃいませ」と微笑みながら、自分たちを気持ちよくさせるような接客態度が求められることになります。その教師が「上から目線」でものを言おうものなら、お客様を大切にしない言語道断のふるまいとみなされることになります。 

「キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 (岩波ブックレット)土井 隆義」から

☆「上から目線」は、教育がサービスでなくても、言語道断であるが、ともあれ、サーバント=奉仕者=召し使いという発想は、私立学校にはない。

☆私立学校の場合は、教育理念を共有するステークホルダーあるいは共有したいという意志のある人々への奉仕者である。

☆だから、「顧客目線」ではなく、「理念目線」なのである。

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