一日一言 新渡戸稲造【066】
一日一言 新渡戸稲造【065】のつづき。
☆2月5日 我必ず聖ならず
・・・・・・我もかならず聖にあらず。彼もかならずしも凡にあらず、共にこれ凡夫也。是非の理たれか是を定めん。
☆聖徳太子の言葉である。理念の聖なる是非の基準は、だれか是を定めるのだろうかと読み替えてみるとよい。
☆一七ヶ条の憲法の17番目で、聖徳太子は独りで決めるなよ、必ず議論せよと言っているのである。
☆それは聖なる基準の是非は、みんな凡夫なのだから、独りで決めずに話しあえよということだろう。
☆福沢諭吉は、文明開化にあって、欧米人に比較して日本人は議論ができないと嘆いていたが、それは元々日本の固有の文化のせいではない。封建的な文化を駆逐しはじめてすでに300年以上たっていた当時の西洋に対し、日本は今まさに封建的体制を崩そうと緒に就いたばかりのときだった。だから、その差は明白だったのだろう。
☆固有の文化というより、歴史的な制約が文化に影響していたわけで、議論ができない体質がずっと続いていたわけではないのかもしれない。
☆ともあれ、≪私学の系譜≫の流れにあって理念はつねに議論によって現代化されることが必要だと、私学人のルーツでもある新渡戸稲造がすでに語っていたのではないか。
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