クオリティスクールの新コンセプト[069] 東京神奈川が語る私立中高一貫校の魅力②
クオリティスクールの新コンセプト[069] 東京神奈川が語る私立中高一貫校の魅力のつづき。
☆東急線・みなとみらい線で通える私立中高一貫校」という合同相談会のもう一つのおもしろさは、保護者が各私立中高一貫校をフィールドワークする時の視点を、チラシで配布していることだ。私学はそれぞれの特色があり、多種多様がゆえに、共通の視点で比較してごらんというメッセージである。
☆だがしかし、そのような視点は、公立学校を見たときに、いかに私立学校と違うかがわかるものであり、子どもを取り巻く日本の教育事情を理解するときの基本的な視点でもある。時代や政権が変わり、制度がどんなに変わっても人間とは何かという根本問題は変わらない。
☆自分の子どもが人間として成長する環境を保護者が情報を集めて、比較検討して選択するのは、成熟した民主主義の時代においては当然のことである。あるいは民主的な市民であれば選択の権利を行使するはずである。
☆さて、チラシに掲載されている「合同相談会」で聞きたい視点は3つ。
①教育理念:私学には教育理念・建学の精神があります。それぞれの学校で大切にしていることを聞いてみましょう。
②中高6年間でどう育ててくれる?:面倒見の良さは、私学ならではのもの。学習面・生活面・進学面の取り組みと、面倒見について聞いてみましょう。
③どんな学校生活を送れる?:勉強面だけでなく、学校生活の面も重要。クラブや行事、生活指導、学校の雰囲気などについても聞いてみましょう。時間割や学費についてなど、どんな小さな質問でもOKです。
☆教育理念について知ることは、すなわち人間を知ることであるし、それゆえどのように成長するか夢やビジョンを見つけようとすることでもある。そして何より、理念とは基準であり、生きる道の中で迷った時の導きの光となるものである。
☆公立学校にとっては、教育理念とは憲法や教育基本法に定められているものである。しかし、近代法の法とは精神性よりも違法性を判断する秤としての基準であるイメージが強い。
☆私立学校のうように理念を分かりやすい言葉に置き換え、あるいはエピソードを交えながら、事あるたびに語り継いでいるわけではない。私立学校ももちろん憲法や教育基本法の精神を共有してはいる。
☆しかし、近代の精神は、今日の世界を眺めればすぐにもわかるように、矛盾を包含している。その矛盾をどのように乗り越えるかについては、憲法や教育基本法には記述されているわけではない。
☆むしろ公立学校は宗教教育は出来ないことになっているから、理念という精神性について語ることは実質タブーになっているのである。ところが近代以降、人間は法の精神によって生き、制度によって生きているわけではない。制度はサポートであり、民主的に変更可能なのである。しかし、自由・平等・友愛という法の精神という理念を否定することはできない。
☆この理念を中高6年間で具体化し、それぞれの子どもの自己実現を支援していく教育活動が私立中高一貫校の学習や生活、進学のプログラムである。目標を明快にしないまま、成り立っている公立学校が、日本の公立教育システムのジレンマである。
☆目標が明快で、その実現のためのプログラムを運営するうえで最も重要なのはコミュニケーション。上から目線でも生徒迎合目線でもなく、理念目線のコミュニケーション。だから近代の精神の矛盾を乗り越える私学の理念の精神=法の精神が実現できる。公立教育がジレンマを自ら解決する機能を持っていないがゆえに、上から目線のコミュニケーションは抑圧を生みだす。その結果内閉的な事件や暴力が生まれる。これを抑えようと生徒迎合目線のコミュニケーションをとると、内閉されていたものがカニバリズムのような祭りとなって発散される。学びの崩壊といじめ、不登校・・・。
☆理念目線がないコミュニケーションは、表層的には明るい雰囲気の場も生みだす。だから、うまくいっているように見えるが、精神の空洞化を阻止することができない。内なる普遍的な物差しが育たない。だから、キャラ化現象であふれることになる。精神が空洞化しているから、仮面そのものが自分だと思い込む。
☆しかし、その状態をだれでも何かが違うともんもんとする。それは思春期の心的構造といっしょである。この思春期こそまさに中高6年間だ。この時期、思春期を乗り越える1つの重要な方法が、内なる普遍的な物差しの種を自分の精神の土壌に植えることだ。
☆これができないと、キャラ的には良い子なんだけれど、信じられない事件に巻き込まれたりする。今公立学校は、この限界を、精神を育成しないで、乗り越えざるを得ない。どうするか。危うい欲望を1つひとつ抑圧して、無意識の地底から噴き出ないようにする道徳によってである。
☆しかし、この欲望の中には、創造性の種も含まれている。創造性が抑えられればどうなるか。当然モチベーションは失われる。学習意欲の危機を唱える教育者は山ほどいるが、それは生徒個人の問題ではなく、システムの問題の方が大きいだろう。
☆思春期の環境として私立中高一貫校の選択を熟慮する必然性が実はあるわけだ。この重要性を見えなくしているのが、偏差値や大学合格実績。ここには何の理念も見えないのだから。ある意味、数値という偶像崇拝である。
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