2010中学受験市場[07] 偏差値で学校を選ばないで偏差値を活用する
2010中学受験市場[06] 日能研 vs SAPIX ⑤のつづき。
☆自分の偏差値に見合った学校を選択しようという受験はそれなりに成功するが、入学後はもしかしたら問題は残るかもしれない。
☆やはりまずどういう学校を選択したいか、それが何と言っても出発点だろうと思う。だから、東洋英和と恵泉の両方合格した生徒が、恵泉に進学するということがあっても全くおかしくないのである。
☆しかし、逆があってもよい。がんばったけれども偏差値は45から55の間だった場合、偏差値60以上に自分の行きたい学校があればそこにむかって「眼」張ればよい。
☆実際に、今年もその状況下で最終的に志望を果たした子どもがいる。自分の学びの戦略を立てるにあたり、偏差値を大いに利用したが、学校選びの時は偏差値は参考程度にしか使わなかったのである。
☆偏差値は学びの戦略を立てるときには、役に立つ。しかし、偏差値60以上の学校を選ぶときには実は役に立たない。なぜなら、模擬試験というのは偏差値60以上の学校に合わないからだ。
☆偏差値60以上の学校の入試問題は、模擬試験では出題できないような思考問題や記述問題が出題されるのだから当然だ。
☆仮に模擬試験で記述問題が出題されても、その採点方法はきめ細かくないので、信頼性はない。ただ、偏差値に従って受験する場合が多いので、偏差値と合格が妥当しているように見えるだけなのだ。
☆問題としては正当ではあるだろうし、受験結果も妥当かもしれないが、信頼性はまったく別の話なのである。
☆ただ、どうしてこの偏差値なのかというリフレクションは多いに意味がある。がんばっていないからだと指導する塾は今やないだろうが、もしかしたら家庭ではそういうコミュニケーションになっているかもしれない。
☆そして、子どもはがんばっているのに、偏差値があがらないと子どもも親も思う時がやってくる。そのとき偏差値をうまく活用すれば、ジャンプの可能性が見えてくる。ただし、偏差値自体はあがらないかもしれない。だから、偏差値の数字をいくらシミュレーションしてもだめなのだ。
☆大事なことは、ある偏差値の位置にいる場合、多くの場合、そのレンジにいる考える視点しか開発できていないし、興味の範囲しかないのである。
☆偏差値60以上の学校の問題の視点は立体的だから、考える視点の構造が自分なりに構築できていないと、太刀打ちできない。ところが、この立体的な問いという視点の構造が、模擬試験では出題されていない。だから、そのごく一部の構造の出来不出来で偏差値が決まっている場合がある。
☆おそらく模擬試験がカバーできるのは3分の1である。残りの3分の2は、授業でカバーしているのである。だから偏差値をあげることだけを考える講師がいたとしたら、偏差値はあるのに本番ではうまくいかなかったというケースになるだろう。
☆ところが、模擬試験の3分の1の視点構造は、競争ではそれほどでもないが、残りの3分の2は結構いけるなと子どものことを判断できる講師がいると、予想以上に合格者がでるということになる。合格販売株式会社が行うのはそこなのだ。だからたぶん予想以上に合格者はでているというのがその塾の現場での実感だろう。もちろん、それとライバルの塾が好実績だというのは別の話だが。
☆ともかく、偏差値を上げるのではなく、合格を出すことを目的とすることが大事なのだ。しかし偏差値は、便利なのだ。知識をどのくらい定着させているかが、偏差値でだいたい予想がつく。勉強方法もわかる。計算の仕方もだいたいわかる。工夫していないなとか、自動化していないなとか。
☆理科のものの見方もわかる。見ようとしていないなとか・・・。社会も、あっ、地理と歴史と公民がばらばらばだなとか、そもそも興味をもっていないなとか・・・。
☆逆にこんなにおもしろい見方や地理と歴史と公民がササラ型になっているじゃないか、なぜ偏差値がそれほどのものでないのだろうと、実際に模擬試験をみると、そもそもそういう問題が出題されていなかったりする。3分の2はOKだけど、3分の1がちょうど模擬試験の出題だから、これはそこの領域がうまくいっていないだけかと。
☆しかし本人はそんなことはわからない。いくら説明しても、そういうメタ視点をもっていたら、はじめからそんな3分の1の領域はクリアする工夫をし始めているだろう。しかし、それがそうはいかないのが人間の学びの特徴なのだ。
☆だから、とにかく3分の1の部分をがんばってもらうには、闘志をもやさなければならない。学びに闘志は無用なのだが、模擬試験の領域は、にんじんでもなんでもよいから闘志を燃やすきっかけが必要なのだ。しかし、本来の勉強は、つまり残りの3分の2は、自らの内面から湧き出る興味と関心とモチベーションのみが重要なのである。
☆しかし、くどいようだが、そこの部分はほとんど模擬試験に出題されない。ただ、授業では大いにやりとりできるわけだ。だから、そういう子どもは授業は大好きだけど、模擬試験は嫌いだということになる。
☆実際、授業では3分の2をカバーし、そこを授業後テストする。すると、模擬試験の成績はわるいのに、授業のテストはいいんだということになる。親は励ますためにそういうテストをやってくれているのよということになり、それを子どもに言ってしまうものだから余計うまくいかない。
☆今年偏差値を活用したけれど、偏差値で学校を選ばなかった家族は、この3分の2の部分への能力や興味を認める配慮をしていた。もちろんそこがあるから大丈夫という安心感を子どもに抱かせることはなかった。3分の1の部分でも力を発揮するように支えていた。
☆3分の1の部分は、学習習慣が効率よく暗黙知化されているかどうかにかかっている。学年が上がるにつれ、加速度がつくから問題をこなす密度があがっている。6年になってそうなっていないと偏差値が50前後になっているはずだ。
☆だから、受験が近づくと、細かいスケジュールメニューを何度も作って実行させる努力を促す。スケジュールを立てただけで、実行できないと、偏差値通りの学校に合格することになる。スケジュールを50%こなせるようになると、ある程度見通しが立つ。
☆それと過去問の勉強の仕方も、合格するかしないかの予測がつくようになる。解きっぱなしになっていると危うい。時間をはかったり、できない問題の分析をするようにアドバイスをして、それに乗ってくると、合格する見通しが立ってくる。
☆模擬試験の分析とは違い、偏差値60以上の過去問の分析は、実は自分の考える視点をメタ的に思いめぐらせるようになっている証拠なのだ。
☆その分析を簡単にレポートとして提出させると、一発で思考の構造がわかる。当然、最初はいびつである。だから、何度か提出しなければならない。3回ぐらいやっていると、全体感がでてくる。そうなればしめたものである。
☆この提出は最初は滞る。しかし、あるとき提出がスムーズになる。その瞬間キタなと思う。あとは面談である。この過程で重要なのは、決して添削はしないということなのだ。添削は、教師の都合で、対話をここまでと切ることである。やりとり、つまりコミュニケーションは視点の広がりと深まりを持続させることなのである。
☆おそらくソクラテス型対話をこなせるかどうかがポイントだ。知識を比較して共通点と相違点を話し合う。最初はここで躓くが、やがてそれは慣れる。頭の中でマトリクス表や座標系がつくられていると手ごたえを感じるようになる。
☆次には由来や起源を創造する話し。そして普遍と特殊の入れ子の話に続く。それができるようになれば、偏差値は関係ない。
☆偏差値が50前後の生徒でも、こういうソクラテス型の対話はできるようになる。これで3分の2は大丈夫。あとは3分の1だ。偏差値60以上の学校でも、すべてが麻布や桜蔭のように3分の2の領域をボリュームたっぷり出してくるわけではない。そうでない場合、3分の1のトレーニングでぎりぎり入る受験生もいる。
☆だから、3分の2の領域と3分の1の領域を結び付ける学びをしなければならない。その手法はフォーカシング。子どもが何に興味と関心を持つか、キーワードやトピックを表現するような対話をする。すると、3分の1の領域にある言葉と重なる部分がでてくる。それがでてくれば、自然とつながる。
☆そうでない場合、つながるまで、対話をしたり、書いたりするのである。立体的な視点の構造は、結局は背景文脈を動員する装置。ただ、すべての言葉にその構造を稼働させるには、時間がどうしてもいるのだ。
☆たとえば、俳句の理解は、句の背景文脈を一瞬にして動員できるかにかかっているわけだが、という文章を読んだ瞬間に、俳句をメタファーに置き換えることができるかどうかは、子どもの場合時間がかかる。
☆さらにこのメタファーをモデルに置き換えることができるかどうか。あるいは地図に置き換えられるかどうか。置き換えてごらんと言われて置き換えるのでは、置き換えたことにはならない。つまり背景文脈を動員するようにならない。ただ表層の言葉の置き換えをしたにすぎない。
☆その背景文脈の動員の仕方は、深まれば論理→批判→創造という深まりになる。ところで、フォーカシングは、何気ない話し合いの時に起こる場合が多い。構えると自由度がなくなるから、背景文脈を動員する領域が限定的になりやすい。
☆だから今回は少し離れたところで保護者と雑談をしている状況をつくり、その間に仲間に頼んで子どもが作成した小論文(その場で書いたものでないと、背景文脈動員の持続が切れるから、その場で書いたもについて話し合う)について、話し合ってもらう。
☆そのとき離れてはいたが、対話には耳を傾けていて、文化の違いや共通性についてのテーマだったと思うが、歴史的事象とか、あるいは自然現象の話とかの中からある対象をフォーカスして説明している姿が表れた。
☆おお!カチっと音がした瞬間だ。ここからは、ポジティブな環境を整えることを大切にして受験を迎えることになる。分析の最中はどうしてもネガティブになるものだ。しかし、これは通らなければならない道ゆき。ただ、最後の1か月はポジティブにいかないと、背景文脈を柔軟に動員できない。
☆それと大事なことは、この仲間のコミュニケーションの特性である。フラットで良い加減であることがポイントである。自然体こそ能力開花には欠かせない環境であり、もっともすぐれた環境は人間なのである。どんなに自分がそういう力を持っていたとしても、ソクラテス型対話をおこなってしまった場合、教える側と教わる側の関係をつくりだしてしまう。
☆本来ソクラテス型対話はそういう関係ではないが、もともとそのことが理解できていたら、こういうサポートは必要はない。そういう日常のマインド・セットから自ら抜け出すのは至難の業である。だから、そこをソクラテス型対話ができる仲間に頼むのである。対話の仕方は同じでも、教える側と教わる側の関係は私としか意識しないものだ。たまたまという偶発性は、一期一会。この関係が感動的。あるいは意外性。感動こそ才能開花の大きなきっかけ。
☆中学受験がある意味才能開発の契機であるのは、逆説的で興味深い側面である。
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