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クオリティスクールの新コンセプト[082] 私学の教師は代表的日本人である

クオリティスクールの新コンセプト[081] 湘南白百合の意義のつづき。

☆教育基本法改正以来、≪私学の系譜≫について話し合ってきた。私学のルーツというのは系譜の一部であり、系譜という言葉を使ったのは、私学の精神が今も時代の要請に応じながら最適化されて浸透しているということを表現したかったからである。

☆教育の理念は、過去にあるものではなく、いまここで現代化されてあるのだということなのだ。結局、≪私学の系譜≫の思想の源流の1つであるJ.J.ルソーではないが、

人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように私には思われる。(「人間不平等起源論」から)

☆脳科学が進み、遺伝子工学が進みはしている。しかし、人間の脳はまだまだ測り知れない。遺伝子工学によって、個性としての人間を複製できるかどうかは、結局のところわかっていない。機能としての人間を再生することは可能のようだが・・・。

☆人間の「こころ」にいたっては、漱石が人間機能を芸術に転換したものの、その意図に反して、というより漱石が予想した通り、空洞化している。ますます人間についての知識は遠のいている。そのことをトレンド用語で表現すると、キャラ化である。

☆人間はかくしてメディアの商品化となる。しかし、表現するコトこそ人間の本性とするならば、これもまた人間である。東大合格発表のシーズンであり、これで大騒ぎするのも近代日本の文化であるが、意外と東大の入試問題に、人間を考える問題が多い。

☆問いとは、実のところ人間へ投げ出されているわけであるから当然と言えば当然であるが、一般には人間への問いを回避するというこれまた人間的な投げかけが行われているのだが、東大は意外とストレートである。

☆公立の教育政策を論じるのも東大であるが、それを批判するのも東大である。近代官僚日本の出発点も、常にこのジレンマをはらみながら進んでいる。だから、中等教育レベルで公立と私立の対峙が、教育理念をベースにきちんとできているにもかかわらず、大学では東大に回収されてしまう。

☆ハーバードやスタンフォードがどれくらい国家と対等に渡り合っているか、その実態はわからないが、そういう私立大学が日本でも出来(しゅったい)してほしい。

☆それはともあれ、このような≪私学の系譜≫の精神の大きな気概の1つに内村鑑三が位置することは間違いない。それから新渡戸稲造である。この両者が直接間接かかわっている学校も実際にあるが、戦後教育基本法の精神の淵源は、直接この2人である。だから、まずは学ぶ必要がある。

☆もちろん、彼ら2人に影響を与えた≪私学の系譜≫の大きな源泉である江原素六、福沢諭吉、新島襄、棚橋絢子、嘉悦孝、与謝野晶子、矢島楫子、津田梅子、吉野作造、田中正造、ヴォーリズ、石川角次郎・・・なども紐解いていかねばならない。しかし、戦後からまず始めて、折に触れさらに過去にさかのぼろう。

☆さて、内村鑑三だが、まずは「代表的日本人」と「後世への最大遺物」を読まれることをオススメする。短くも実に深いのである。特に「代表的日本人」の中の「中江藤樹」の章はまっさきに読まれるとよい。

☆私学人としての教師像がそのまま写し出されている。そして「後世への最大遺物」がまたよい。アメリカでは、カーネギーが構築した伝統的なフィランソロピーやビル・ゲイツのようなベンチャー・フィランソロピーを受け入れつつも、結局は資本主義を支える行為であると批判されがち。しかし、内村鑑三ならば、そのような行為を大いに受けいれながら、それを超える最大遺物は何かを問えるのだ。

☆その最大遺物は、日本の代表的な教師である中江藤樹の生き様である。近江聖人=近江商人なのであるが、そしてヴォーリズや織田信長がかかわっているというのも縁があるけれど、ともあれ本当のフィランソロピーのプロットタイプがここにある。

思ひきやつらくうかりし世の中を

       学びて安く楽しまんとは

☆藤樹の歌である。この歌にぴたりと当てはまる私学人や私学の教師は、今もたくさんいる。教師はたしかに聖職者ではない。しかし、中江藤樹のような聖人ではあるかもしれない。そんな教師に出会うチャンスがいっぱいあるのが私立学校だ。だが通いだすと幸せの青い鳥となる。。。

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