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2010東大合格発表シーズン⑲ 東大合格公私比率の意味

2010東大合格発表シーズン⑱ 公文国際の東大合格者推移のつづき。

☆サンデー毎日(2010.4.4)東大前・後期の高校別合格者データを集計すると、3,109人の合格者のうち私立学校は1,670人で、53.7%のシェアである。全国に私立高校は30%あるから、それに比べると私立学校の東大進学の率は高い。私立中高一貫校に絞ると、全国に占める割合は7%ぐらいだから、相当高いということになる。

☆これをもって、私立学校は、東大進学を重視しており、学習指導要領を無視し、受験指導重視の教育を行っていると思われがちだが、それは違う。ただ、私立学校は生徒獲得戦略として、そのような理解を逆手に取る場合が多いため、そのような表面的な理解を生んでいることも確かである。だが本当のところは違うだろう。以下にそのことについてウダウダ書いてみたが、いつものように独断と偏見になっているので、あらかじめお断りしておく。

☆2005年日・EU市民交流年前後から≪未来を創る学校≫プロジェクトを立ち上げてきて、紆余曲折ありながらも、細々と続けてこられたのも、ストラスブール大学と連携している日本学研究所(CEEJA)とお世話になったNTS教育研究所、そして私立学校の皆さまのおかげである。今後ますますこのプロジェクトを大きく展開していきたいが、何事も序破急のテンポが肝心。このプロジェクトが大きくなるかどうかは、ひとえに時代が要請するかどうかにかかっているにすぎない。

☆このプロジェクトの展開あるいは転回にかかわってから、1つ探究テーマが定まった。それは≪私学の系譜≫を考えていこうということであった。この系譜についてウダウダ考えているうちに、まずは東大の歴史的存在について考える必要があることにも気づいた。

☆富国強兵・殖産興業文化(国家の進化論)vsカオスモーズ文化(自然・精神・社会の生態系)の大きな流れというか背景が、東大の中にあり、そのどちらが政策に影響を与えるのかは重要なのだが、カオスモーズ文化が政治の舞台に現れたのは、戦後教育基本法成立の一瞬であった。すでにその教育基本法も2006年に改訂され、国家の進化論・優勝劣敗(勝ち組負け組)発想が勢いを増している。

☆もちろん、世の中はこんな簡単なベクトルの合力ではない。だが原理はわりとシンプルで、それが複雑な事態として成っているとした方が考えやすい。ともあれ、表に出る発想は、国家進化論的であはるが、その批判的切り口がカオスモーズ文化として残っているがゆえに、事態は複雑になるということ。

☆そして、このそれぞれの発想を文化資本として再生している思想・理念を、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫と呼んだわけだ。だから、決して公立と私立と分けられるわけではない。ただ、文科省という教育行政が厳しくチェックしているために、公立自体が≪私学の系譜≫を前面に押し出すことはできないのが現状だ。公立出身者の中に≪私学の系譜≫発想の人材は育つ可能性はもちろん残されているが、組織的には難しい。

☆私立学校は、組織的には≪私学の系譜≫を前面にだしているが、実質≪官学の系譜≫的資質をもった私立学校もあるし、≪官学の系譜≫におちいっている人材が育つ場合もある。

☆しかし、文科省のおかげで、概ね公立学校は≪官学の系譜≫、私立学校は≪私学の系譜≫という傾向があると考えてよい。そんなことを≪未来を創る学校≫プロジェクトにかかわりながら整理してきたわけだが、そんな折、フィリップ・ラクー=ラバルトの「歴史の詩学」が翻訳された。2002年までストラスブール大学で教鞭をとっていたらしいが、この本が翻訳された年に逝去された。というかこの翻訳がなされたのは追悼記念のため。

☆この年、私もお世話になったNTS教育研究所を去ることになり、少し本を読む時間が増え、ストラスブールと言えば、このプロジェクトのEUの拠点であるCEEJAとゆかりも深いので、さっそく読もうとしたが、フィリップ・ラクー=ラバルトの思想の速度と教養についていくことはできなかった。それでいつもの読書の3読法である、買っとく・積んどく・放っとくということになった。

☆ただ、この本の帯にもある「ハイデッガーは、ルソーの何を恐れたのか?」という着想だけは脳みその片隅に居座った。ハイデッガーを≪官学の系譜≫、ルソーを≪私学の系譜≫と置き換えたくなる衝動を抑えつつ、≪未来を創る学校≫プロジェクトの展開あるいは転回をウダウダ考えてきたし考えているわけである。

☆現代思想のベースはハイデガーをいかに脱構築するかでもあろうし、一方でルソーは、アメリカのプラグマティズムの中でしっかり生きている。ますます、状況証拠的にはそんな整理の仕方がありそうなのだが、大学の教育学部で私立学校の研究がほとんどされていないので、これ以上一市民に過ぎない私の力では進めようがない。

☆しかし、時代が「変化」を求めているのは、おそらく多くの人が感じているはず。オバマ大統領の「チェンジ」路線はそれを物語っているし、日本の政権交代も一瞬期待されたのもそうだろう。ビル・ゲイツが、リチャード・フロリダのクリエイティブ・クラスなどの影響もあってか、クリエイティブ資本主義を提案しているのもそうだろう。

☆大学入試センターの国語の問題や東大の世界史の問題に、帝国から国家、国家から?への資本主義の変容をテーマにしている素材が取り扱われているのも、時代の変化の兆しを反映しているのではないか。

☆麻布の氷上校長が、生徒とマックス・ウェーバーの読書会を行っていると伝え聞くが、世の中でも、渋沢栄一の「論語と算盤」の話題が盛り上がっている。あのドラッカーも流行だという。論語つながりではある。論語といえば、朱子学と陽明学の対比。ここにもどうやら≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫の流れが接続するような気がする。

☆キリスト教の根付いていない日本が、なぜ資本主義の国として成功したのかは、今では中国でも研究されていると、渋沢雅英先生に聞いたことがあるが、実はその発想につながるテーゼはマックス・ウェーバーも言っていた。

☆しかし、≪私学の系譜≫は聖書と論語が結び付いて出発している。麻布の創設者江原素六自身がそうだ。なぜ結び付いたのかはわからないが、江原素六の儒学の理解が陽明学的流れだとしたら、大いに結び付いたのではないか。

☆というのもマックス・ウェーバーは近代西洋で生まれた資本主義は利益を追究するのがその特色ではないのだという。資本主義でなくても、昔から自己利益で莫大な富をゲットしている人物や商業は世界中にあっただろう。何も資本主義の得意技ではないのだと。

☆しかし、日本の近代資本主義は、利益をあげる予見可能性・計算可能性・合理的志向性を組み立てることにまい進したのだろう。

☆マックス・ウェーバーは、それは結果であり手段だと。近代西洋の資本主義の特色は、自由な労働の合理的組織化なのだと。この「自由」の系譜は、キリスト教であり、なんとルソーをはじめとする啓蒙思想家にある。そして儒学の場合は陽明学にある。つまり、≪私学の系譜≫。

☆しかし、帝国から国家にシフトした段階では、自由な労働と合理的組織の担い手は分断されていた。合理的組織にはお金がかるのだ。労働は自由なのだが、生産のための環境はお金がないと自由にならない。ところがだ、IT革命以降、リーマンショックのような出来ごとにみられるように、自由な労働が合理的組織化の道具を手に入れる時代が到来してしまった。リーマンショックは、そのことの価値やパラダイムシフトに気づかずに、結果としての利益追求に暴走してしまったために起こった可能性がある。

☆だが、ここに資本主義の変容の兆しはたしかにあるのだ。それはこの自由な労働が、自ら合理的組織化の道具を手に入れたときに、リチャード・フロリダのいうように、Talent・Technology・Toleranceの3Tも同時に手に入れたとしたら、彼らはクリエイティブ・クラスにシフトするのである。

☆そしてこのクリエイティブ・クラスこそ、ダニエル・ピンクのいうモチベーション3.0の位相に位置することになるだろうし、ビル・ゲイツは、揶揄されながらも、ソーシアル・ベンチャーの構築をクリエイティブ・クラスに負わせるクリエイティブ資本主義を構想しているのだろう。

☆ルソーの「人間は自由にうまれた、でもいたるところ鉄鎖につながれているじゃないか。何とかしようよ」という発想。≪官学の系譜≫にとって、これほど恐ろしいテーゼはない。

☆教育基本法とともに改訂された学校教育法によると、クリエイティブ・クラスの一要素であるTalentは、高校になってからはじめて積極的に指導することになっている。Toleranceにいたっては、あくまで国家道徳であり、個人の倫理は重視されていない。IT関連のTechnologgyに関しては、その環境をみればわかるように、相当遅れているし、制約が多い。携帯の扱いなどもものすごい規制がある。

☆ルソーは子どもたちにこうささやく。その規制は鉄鎖なのか、契約なのか。契約という個人の選択判断の自由があるかどうかチェックしたほうがよいよと。オバマ大統領の医療保険の改革に対しても、まさか国家が守ってやるという話ではないよね、あくまで国民が自分のヘルス保障のために、国家に投資しているに過ぎないよねと。裁判員制度に対しても、まさか合理化が目的ではないよね、社会契約がきちんと履行されているかどうか、チェックするためだよねと。

☆ハイデガーに対しても、存在の故郷なんてセンチメンタルなこと言っているけれど、その故郷は社会契約でできているの?まさか誰かが勝手につくって押し付けているわけではないよね。君の言っている存在の故郷は、自然状態にしかないけど、どうやっても人間はそこに戻ることはできないんだよ。社会契約からしか出発できない。しょせん故郷は遠くにありて思うもの。社会契約はしかし見える化できるものではなく、常にセンサーを働かせてチェックしておかないと、書き換えられるよ。大丈夫かい、ナチと契約しても・・・。

☆ルソーを恐れずに、もっと前に対話をしていれば、状況も違っただろうに。だから、これからも≪私学の系譜≫が≪官学の系譜≫にルソー的発想を問いかけることが重要なのである。これは日本に限ったことでないのだが、日本の首都圏のように、1つのエリアにこれほどたくさん私立中高一貫校が集結しているのも、世界では珍しい事態である。

☆東大を頂点とするわかりやすい学歴経済社会であるがゆえに、その社会が契約社会なのかどうかチェックするには、≪私学の系譜≫が東大に入り込むことが重要なのである。

☆もちろん≪私学の系譜≫直系の私立大学を東大ピラミッド経済社会から抜けださせ、直接≪官学の系譜≫と議論できる国際的(ルソー的な意味での普遍的)見識を強化することが最も重要であるが・・・。

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