筑駒の詩
☆今年の筑駒の国語の中学入試問題で出題された詩の問題は、いつもと同じようで違うかもしれない。
☆小野省子さんの詩集「牛丼屋夜間アルバイト」(本の森)から「母はサボテンが好きだ」が出題された(入試問題それ自体は四谷大塚の「過去問データベース」で見ることができる)。
☆たしかに、何気ない家族の日常のシーンではあるが、言葉にならない事物や微妙な心情をさらりと表現していて小野さんらしい詩であり、その言葉にならない表現をさらに問いかけて説明させているのは、筑駒らしい問いかけである。
☆しかし、この詩のシーンは、小野さんにとっては1989年前後のシーンだろう。おそらく受験生である小学校6年生は、まだ生まれていない。
☆歴史的文脈ぬきで、この詩を読めるのは、新人類世代・団塊ジュニアまでではなかろうか。それより後に生まれてきた世代は、あまりに社会が変わりすぎている。詩の普遍性を読めばそれでよいのだという考え方も大いにありだが、理解のきっかけとして歴史的文脈が必要なときもある。
☆家族の価値観も、個人の価値観もあまりに違いすぎるのだから、受験生にとっては、一見やさしそうだが、相当むずかしかったのではないだろうか。
☆小野さん自身は「癒されない」という詩で次のようにうたっている。
果物や花々の匂いのする液体
クラシックやオルゴールのCD
巨乳で童顔のアイドル
死なない手のかからないペット
そういうものに
私は癒されない
説教臭いしたり顔の言葉
感動するために作られた映画
小さな生暖かい子供の手
そういうものにすら
私は癒されない
・・・・・・・・・・
☆小野さんはポストモダン的な社会の雰囲気を拒絶している。しかし、受験生の周りはそういう小野さんが癒されない社会そのものである。
☆そして「母はサボテンが好きだ」という詩は、そのような癒されない世界とは別の位相にある。もちろん、それは歴史的に過去のものというわけではないし、繰り返しになるが、詩を読むのに歴史的文脈のサポートをいちいち必要とするわけではない。
☆筑駒の出題する詩には母親が登場するものが多いが、今回ほど日常的だが歴史的なものを感じるのは珍しいのではないか。
☆この詩を読む大きなヒントになる指南書は、柴田翔さんの「詩への道しるべ」。今回の小野さんの詩も取り上げられている。というか、読みようによっては、解答がほとんど書かれているかもしれない。
☆さてさて、この詩を授業でどのように取り扱うのかそのプログラムはなかなかたいへんだろう。しかし、たいへんおもしろい。
☆アートは歴史的で政治的なメッセージが混ざるのは世の常だが、これをどのようにクリティークするのだろうか。塾としては受験市場においてそんなの関係ないとなるのだろうが、それでは筑駒の問題は解けない。学校側からの挑戦状であるのかも。
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