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私立学校の教育と受験市場のズレ①

☆前回、私立学校の本源的授業知をどうやって表現できるのか、受験市場はもともとそれを理解しようとするフィルター=枠=ものさしを持っていないし、多かれ少なかれマスメディアもそうなのだと、打ちひしがれていたわけだが、感傷にひたっていても何も生まれない。もう一度どうしたらよいのか、現状を把握してみよう。まずは現場感覚。

☆壁にぶつかったときは、まずどういうズレがあるかを整理するところから始めるのが良いだろう。私立学校の教育と受験市場・メディアの欲望を比較するものさしは、ざっくり3つ。

①強い大学進学実績・偏差値の教育
②楽しく・明るい教育
③フラットな目線を持った教師

☆この3点について、私立学校の教育と受験市場の欲望とでは、差異がある。それは次のような違い。

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☆受験市場の欲望は、強い大学進学実績や偏差値についてはスコアを産出するから、ブレはない。ランキングも簡単に出る。そしてそのスコアを目標にすりかえることが可能だ。ところが、私立学校の教育は、教育の質が重要で、その結果が実績にすぎない。質が高くても大学進学実績や偏差値がでないときもある。そのとき、受験市場にとって、欲望は満たされないから、ズレがでる。

☆楽しく明るくというと、受験市場の場合は、子どもが笑顔でなければ不安になるし、積極的に発言したり行動したりしているようすを常に見ていないと欲望は満たされない。だからパンフレットは笑顔であふれる。しかし、悩んだり不安だったり、そこを通りぬけるときの表情をじっと見守る教育こそが健全なのである。しかし、その怯えたり沈思黙考している姿を見るのは、受験市場にとっては好ましくない。そこにズレが生まれる。

☆教師と子供のコミュニケーションは、誰もが配慮するところだが、受験市場はそれを顧客満足度というものさしで評価する。子どもが成長するかどうかより、子供の欲求を満たすことの方が優先される。子どもの欲求が欠落している時の方が、大きく成長するときもある。その時間を待てるのがフラットなコミュニケーションで、創造的な行為なのであるが、そもそも創造性が念頭にないのが受験市場。ここでもまたズレが生じる。

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