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田園調布学園の捨我精進の重要性

☆田園調布学園の西村弘子校長にお会いした。中1の最初の礼法の授業を拝見させていただき、建学の精神「捨我精進」の現代的意義について教えていただくチャンスを得たのである。

☆浅薄な私は、礼法というと礼儀作法の外面的型を身につける授業だと思っていたが、まったく浅学非才であることを思い知った。そしてこの思い知る自分を見出す内面的型が「捨我精進」の精神であり、礼法の授業を見学している私もスーッと吸い込まれる西村流儀にグッときた。

☆田園調布学園の礼法の構成は、ある意味女子学院の礼拝の構成と同質である。何をまた言っているのか?と思われるかもしれないが、一般的には現代日本社会では、礼法も礼拝も、形式的な儀式というようなイメージをもたれるだろう。

☆しかし、同学園やJGの礼の空間は、言語空間であり、知の構造が仕組まれている。だから、西村校長の語りかけの言葉は、節約され、計算されている。

☆多くの説明をすると、言葉の意味の側面だけが押し付けられ、学習者は受け身になる。これでは、学習者の知の構造は立体的に組み立てられない。

☆言葉は、感情や行動、倫理、イメージ、響きといった五感や智慧、意志、行動など総合的な人間の生き様を喚起する。そのためには、節約するのだ。

☆西村先生は、たとえば、新入生が友達をつくりやすい状態にするときに、友達を作ることがいかに重要であるか饒舌に語るわけではない。これはあまり有効ではないとおっしゃる。まずは、エンカウンターのような体験プログラムを行う(ここで大事なポイントは教育空間。そういうプログラムができる空間デザインがされているのも田園調布学園流儀)のだが、そのときにあまり限定的な言葉をつかわない。「守ってあげましょうね」と語りかける。

☆パートナーどうし平坦な空間や段差のある空間を歩くのだが、片方が目をつぶり、片方が守りながら歩くのである。そのとき「手をつないであげてね」と言うこともできるのだ。しかし、それでは言葉が一義的に限定され、学習者は、イマジネーションを膨らませないし、考えることをやめてしまう。いわゆる思考停止の言葉は投げかけないという計算が、一言ひとことに織り込まれているのだ。

☆そして、西村先生は、ご自身の言葉に反応した生徒の学習者心理を丁寧に、しかも瞬時に互いに振り返る対話を織り込んでいく。

☆メタ認知を丁寧に織り込んでいるプログラムがデザインされているのである。だから、礼法の授業は、もちろんマナーや作法といわれるルールを学ぶ側面もあるのだが、広い意味で知の触発をする内面的型を形成しているのだ。

☆そしてその内面という構えが「捨我精進」なのである。内面的自己に気づき、本当の自己を表現する勇気は、「はい」と答えるときの学習者心理にも反映される。だれでもが、「はい」をすんなり言えるものではない。勇気の支えが必要なのである。

☆ではその勇気とは?たとえば、「はい」を言えない何かにこだわっている「我」を見出し、捨てることである。その捨てる勇気が、本当の自分を目の前に覚醒させる。この捨我の言動を、日々あらゆる場面で精進していく。

☆すると「とことんやる勇気」「自己ベストを更新している自分」が現れてくるのだ。この「捨我精進」という高い精神を有した生徒同士が友情をつくるのである。得難い人材の塊が社会に輩出される。

☆欧米は、むしろ自我を前面に出すことが好まれる。しかし、「捨我精進」は、自我をいったん捨てることによって自我を生みだす。西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一の境地。未来の日本のリーダーの気構えそのものではないか。

☆このように書いていくと、なんか難しい話のようだが、日々の学園生活の中で、捨我精進の鐘の音に耳を澄ませ、黙想の中に自己を見つめ、昼食時には大いに友達と明るく楽しく語り合い、授業が始まると知の探求にスイッチが切り替わるという、「捨我精進」そのものの体験を通して高級な精神が形成されるのである。

☆私立学校はどこまでも深く誠の道を行くのだと感じ入った。

P.S.

西村先生の礼法の知の構造は、ストレートに慶應のSFCの大学入試に役立つし、東大の現代文、世界史、日本史などの論述にも役立つ。たしかに偏差値や大学実績は結果にすぎないのだが、いわゆる偏差値が高い大学の入試問題の思考のレベルや広がりは世界標準にシフトしている。「捨我精進」がキリスト教文化とは違う新しい世界標準のものさしであることは、私にとって重要な気づきだった。田園調布学園の教育は私立学校の先進性の証明でもある。

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