鴎友学園女子の理念の現代化
☆鴎友学園女子の西川邦子校長にお会いした。「慈愛(あい)と誠実(まこと)と創造」という理念が、きめ細かく織り込まれているのが、改めてわかった。
☆他者を思いやる「あい」の心。生徒ばかりか先生方も含め、1人ひとりの潜在的可能性を引き出す「まこと」の構え。そしてその二つを現実態とする「そうぞう」の言動表現。
☆ほんとうにプロテスタント的な自己の精神の成長と発達の文化遺伝子が鴎友学園女子の理念そのものであると感じた。(もちろん、キリスト教主義の学校であり、キリスト教の学校ではないが)
☆この文化遺伝子は、様々な学びのシステムの刺激を受けて開花していく。
☆多様な体験学習、多様なテーマ学習、多数の論文編集など教科越境型のプログラムすべてに「慈愛(あい)と誠実(まこと)と創造」の理念が作用している。
☆しかし、授業そのものにもその文化遺伝子は働いている。たとえば、鴎友学園の新入生のオリエンテーションは、ホームルームで行われ、すぐに教科の授業にはいる。もちろん、オリエンテーションの時間を各教科の授業で設けることにはなっている。
☆しかし、実際の授業は、いきなり授業そのものを開始している。英会話の授業も、はじめから英語だけで授業をおこなっているし、数学は絶対値の概念から開始している。ダンスもリトミックのリラクゼーションのスタイルからはじまっている。
☆しかし、そこには授業の展開の中に、エンカウンターの手法や小学校から中学に変わることの知の転換や自分の身体と心の連動を知る気づきなどのプログラムが埋め込まれている。
☆オリエンテーションのプログラムと授業がセパレートされずに、統合されているのである。授業の中で、他者をおもいやり、自分の潜在的可能性に気づき、言動表現をしていくという文化遺伝子が作用しているのである。
☆これができるのは、教師全員が共通意識・共通言語・共通志向、つまりアイデンティティを有していないと実行できない。ある教師は文化遺伝子を発露できるが、ある教師はできないとなると、別途オリエンテーションを設けなければならなくなる。
☆鴎友学園女子で、これが可能なのは、教師間の議論の多くのチャンスを、合理化しないで、忙しくても継続することである。
☆それともう1つ、これはもしかしたら表面に現れてこないことかもしれないが、司書教諭が2人もいることである。司書と司書教諭では、働きが違う。司書教諭は図書室をでて、ホームルームの教室でも教育活動ができる。また情報処理や編集などの指導を教科越境型でできる。
☆だから、図書室の稼働率が一日中高い。統合知の拠点になっているのだ。図書室は読書や調べる拠点であるだけではなく、知の編集・創造拠点である。
☆だから、各教科が授業中に立ち寄るのである。
☆ああ、これで鴎友学園女子は完璧なんだ、プロテスタント的には永遠の今という時熟を迎えたのだと思った瞬間、西川校長は、私の浅薄な理解を洞察され、「吉野先生と市川源三先生のお部屋を訪ねてくださいね」と語りかけてくださった。
☆なんとその部屋は私立学校の淵源だったのである。江原素六、福沢諭吉、内村鑑三、新渡戸稲造ばかりが私立学校の系譜のルーツだと思っていた私の不勉強を恥じいった。市川源三先生の当時の日本の女子教育に与えた影響が甚大であったことが部屋に入った瞬間わかったのである。
☆しかし、私と同じように、市川先生の功績は、世に知られていない。鴎友学園女子は市川源三ルネサンスを起こそうとしているのではあるまいか。西川校長の言葉に「慈愛(あい)と誠実(まこと)と創造」のメッセージを感じた。鴎友学園女子の「創造」はこれからも続く。
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