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インターフェースバイザー コーチでもファシリテータでもない

☆それぞれの私立中高一貫校では、入学式を終え、新入生を迎えるオリエンテーションのシーズンである。

☆毎年、いくつかの学校で、プロジェクトベースのプログラムをお手伝いさせていただいているが、今年はたいへん興味深かったし、私自身1つの大きなチャレンジのチャンスをいただいた。

☆今までのプログラムデザインは、どちらかというとすでに企業や心理学で使われているプログラムのアレンジだったと思う。だから、アドバイスやサポートも、コーチンングやファシリテータという方法のアレンジでもあった。

☆しかし、今回のプログラムデザインのテーマは、その学校にある多様な暗黙知を形式知化し、徹底的に結び付けることだった。いわゆるコンサル手法は使えなかった。インターフェースバイザーとでも呼ぶべき役割が必要だった。

☆すでに、その学校ではノートパソコン、無線ラン、新学習理論の多様なツールは学校文化の中に溶け込んでいたので、そのツールを先生方がどう使っているかを掘り起こしたりした。

☆要は先生方1人ひとりの持っている独自のアイデアやツールの使い方をオープンにして、プログラムにかかわる教師と参加する生徒全員が共有するというプログラム。もちろん、オープンにするにはタイミングが重要。必要性を学校内部から感じる時熟が必要なのは言うまでもない。

☆学校にある暗黙知はとにかく多様。先生方が独自に工夫しているものも、教育理念や教育空間、設備、道具に規定されているから、独自の部分と共通部分がある。その共通部分を見出してつなぐのである。

☆つないだとたんに互いにさらに第3の使い方が生まれるし、新入生たちが新たな発想を付け加える。予想外のシナジー効果が表れる。

☆先生方の情報の発信の仕方、情報の受容の方法も様々である。しかし、教育理念に照合してその方法=ツールの是非を事前に、先生方と徹底的に議論することによって、先生方のコミュニケーションのスタイルが独自でありながらある共通範囲の中で動きが出てくるのに、お互いに驚くのである。

☆もっとも、この議論の過程は高ストレスで、乗り越えられたから、喜びもひとしおなのだが、この議論というツール・ロール・ルール・モデルを新入生と共有しようとする段になると、これもまたそうとう互いに寛容にならないとできないし、自分たちが感じたストレスを新入生も感じるというのが伝わってくる。

☆そこを乗り越えるように、プログラムの最中、毎日先生方と話し合う。そこで話し合うことばについては、谷川俊太郎の「詩ってなんだろう」を分析してつくったことばの仕掛けを鏡=モデルとして照合しながら話し合った。

☆独りよがりにならないように、お互いが鏡というモデルになったし、教科学習の中の谷川俊太郎さんのような頭脳を、教科の枠から外して、モデルにもした。とにかく学校の中にあるリソースを徹底的に有機的につないで、ツールをつくる。多様なツールがあることを互いに知り、生徒ひとりひとりがどのツールに反応するかを俯瞰しながらしかし伴走しながら観察していく。

☆教師は、自分のツールが万能でないことを改めて知る。生徒の多様性に合わせる多様なツールの仕掛けがポイントであると改めて確認し合う。

☆そして、いかに自分たちが生徒のロールモデルであるかも感じ入る。ツールが変われば、ロールも変わる、モデルも変わる。しかし、ルールは変わらない。

☆ローカルルールはもちろんすぐに廃棄されるから、変わらない普遍ルールだけが参加者の言動に蓄積されていく。それが普遍であるかも批判的に検討される。議論と言うより、プログラムが展開されている中で、有用でないルールは外されるのだ。

☆生徒も教師もモチベーションを高め、自律していくとは、ツールやロール、モデルを選択したり創意工夫する際の基準を体得することであることも改めて確認。そのルールの大本は教育理念。

☆大きな物語や理念が失われた時代なんて言われているが、なるほど他者の目に左右されるキャラ化がトレンドになるわけだ。しかし、それでは世界では生きていけない。

☆普遍ルールに基づいてしかしながら独自の選択や創意工夫という知やセンスがないと世界コミュニケーションはできないのである。

☆さて、「未来」というのも目標の1つにあったから、そこの部分に関しては、学校にないツールを結び付ける作業が発生した。フロイトモデルをいかに乗り越えるかという発想が必要だったので、そこは先生方とのコラボがすごかった。フロイトモデルではないツールを先生方の想いとどう結びつけて形にするか。もちろん完ぺきではない。使いながら軌道修正する必要がある。

☆そして、このツール・ロール・ルール・モデルの変幻自在な構築をする前に、東大の入試問題とSFCの入試問題の分析はした。その知のレベル以下をやることはできなかったからだ。プランは逆算してたてられる。世界標準であろうとするのだから、エッセンスそのものはすでにはじめから目標の条件に合っていなければならない。情報ソースは新中1に合わせるが、エッセンスはさりげなくセットしておく必要がある。とにかく問題解答の分析ではない、その問題の背景にある時代の要請の仮説、つまりこれも大学入試の知のモデルであり、それを批判的に検討する作業である。

☆もちろん、プログラム進行の際に、入試問題の話題などは一言もしない。しかし、モデルがあるから、生徒一人ひとりの才能とモデルを比較しながらコミュニケーションが取れる。6年間で生徒1人ひとりの知の形成のイメージを学年担当の先生方と共有する話し合いで盛り上がることができたと思う。(なぜ東大とSFCかというと、知のモデルを右脳と左脳の領域で形成することができるからだ)

☆で、どこがコーチあるいはファシリテータと違うのか?モチベーションや発想を引き出すという点ではあまり変わらない、生徒1人ひとりとの距離が違うのだと思う。

☆コーチの場合は、全員が高い目標を達成することはできないし、ファシリテーションも、気づくかどうかは生徒によって違うのである。手放した後は、どちらも生徒次第なのである。意欲を持続できるか発想を引き出せるかはかなり確率の問題。

☆しかしインタフェースバイザーは、生徒1人ひとりのツールをいっしょにつくるところまでは手放さない。それにコーチとファシリテータは自分たちがフロイトモデルに規定されていることに自覚がない。自覚していると言っている派もあるけれど、徹底してそこから離れているわけではない。つまり外面と内面を固定的にわけたとたんにフロイト言語モデルなのである。外面と内面のインタフェースは作られたものであるという自覚がないのである。そのインターフェースであるツールやロール、モデル、ルールには合わない生徒もいるのだ。そこのツール・ロール・モデル・ルールこそ生徒たちが自らつくらなければ意味がないのに・・・。

☆ともあれ、生徒自身がツールなどを自ら脱構築するかどうかまではわからない。そこの部分はコーチやファシリテータと変わらないが、全員が脱構築する一歩手前のツールをつくるという点では、コーチやファシリテータと決定的に違う。自律できる確率の差であると言われてしまえばそれまでではあるが・・・。

☆情報をそのツールに流すと、整理がされて、どれを選ぶかどれを組み合わせるかわかる。もちろん、ツールと同時にロールとルールとモデルの条件設定が必要ではあるが、その条件設定は生徒にとってのツールの感度による。その感度をいっしょに高めるところまでもサポートすることは大事だ。

☆そのためのトレーニングメニューは、私立中高一貫校の場合は、すでに各学校のリソースそのものの中にある。だから、外注ものやパッケージものをそのまま導入しても効果がないのである。それに合ったルールをあらかじめどこかで組み立てられている生徒のみが興味を示し、力を伸ばしていくことになるのが常である。この自覚がない外注プログラムは山ほどある。

☆外注プログラムは、エンドユーザーが選ぶ分には問題がないが、学校単位で扱うには最低限アレンジは必要なのだ。

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