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私立中高の挑戦 新番組始まる

☆明日5月3日(12時45分~13時)、インターローカルTVで、新番組「私立中高の挑戦 未来を創る教育」の放送が開始する。本放送は毎週月曜日、再放送は火曜日(19:15~19:30)。

☆この放送のスポンサーは、私学自身であり、一般の企業ではない。教育や受験業界がスポンサーでないわけだから、純粋な私学教育の質を発信する私学市場独自のメディアといのが何より新しい特色である。

☆第1回目の出演は、東京私立中学高等学校協会の会長近藤先生と東京私学教育研究所所長の清水先生。第2回目は、鴎友学園女子の西川校長先生、第3回目は聖学院の山口校長先生と校務部長の平方先生、第4回は田園調布学園の西村校長先生、第5回は戸板中の杉岡校長先生が次々と出演する予定。

☆インタビュアーは私立学校研究家として、私がお手伝いすることになった。私では役不足ではあるが、受験市場と私学市場の重なり具合と差異について考えていたところだったし、教育市場や受験市場がそれぞれ独自にテレビというメディアを使っているのに、純粋に私学が独自にテレビというメディアを活用することを検討しなくてよいものかどうか先生方と話し合ってみるのもよい機会だと思った。

☆ただ企画を提供してくれた編集者の方と私学の先生方と私との間で、考え方や感じ方のすり合わせをするのには、かなり時間がかかった。実は、この話は1年前以上から何度も話し合いが続いていたのだ。コンセプトやスポンサーの問題、番組の編集の方法、段取り、番組内容のコンテンツの作成ポイントなどなど、検討することが山ほどあったのだと思う。

☆そんな中で、私は私の立場をはっきりさせなければならなかった。従来は受験市場と私学市場の重なった部分で、いかにシナジー効果を出せるかに取り組んできたわけだから、理想と現実の統合よりも妥協する立ち位置にいたわけだ。

☆そこに立っていたのでは、三者で合意が形成できないので、いったん受験市場とは重ならない私学市場に立って考えてみることができるかどうか思考錯誤してみた。

☆昨年、7月2泊3日の私学経営研究会の教頭部会のお手伝いをさせていただいた際に、思いきり私学市場の立場に位置して(といっても現場にいることはできないわけで、やはり外部の人間として仮説的に立ってみるより方法はないのだが)、先生方と語ってみた。

☆本間というのはどこにスタンドポイントを置いているのかわからないと感じた教頭先生方も多かったと思う。ついこの間まで、受験市場と私学市場の媒介をするポジションにいたのが(その前は完全に塾にいた)、私学側に立ってものを言うのだから、当然だ。

☆しかし、本当に勉強になったのだ。私学市場に立とうとすればするほど、受験市場と私学市場のズレがわかるからだ。そして私自身は、そのズレの中に茫然と立ち尽くしていることのほうが多いのだが。

☆ともあれ、その貴重な機会をいただいたり、先生方にご教示いただきながら、私学市場の位置づけが自分なりに前よりははっきり見えてきたし、幾人かの先生方とお話をしながら共有できる部分が多くなってきたという実感も得ることができるようになった。

☆そこで、メモ書きではあるけれども、自分なりの立場を表現し、お手伝いできるかどうか、判断してもらうことにした。そのときのメモ書きは、次の通り。

 「教育番組」制作協力にあたり1つのコメントとして

私立学校研究家
本間勇人

2008年末に勃発した世界金融危機。派遣切り問題の急激な浮上は、ニート、フリーター、不登校、いじめ、企業内失業、就職難がきっかけの犯罪増加などの延長上にあり、働く制度の脆弱性が露わになった。しかし、一方でオバマ大統領や村上春樹、ジャック・アタリに代表されるように、理念なき市場主義ベースの金融資本主義からクリエイティブ資本主義を提唱する新しいリーダーが相次いで登場してきている。

 この新しい利他主義型リーダー(トランスヒューマンとかクリエイティブクラスとか呼ばれているが)は、どこから生まれてくるのか。いうまでもなくある一定の条件の教育環境からである。

 では、そのような教育環境の条件とは何か。とくに子どもの成長段階でもっとも影響を受ける時期は中等教育時代、つまり思春期の時代である。このとき利他主義が生まれる土壌はどこにあるのか。それは残念ながら今の公立学校にはない。だから教育改革が必要なのであり、学力低下を改革の目標にし、学力が低下すると将来の就職が危うくなるというようなのは、問題のすりかえであるし、学力とは何かという本質を見えなくもしている。

 このように、子どもたちに大きな物語や普遍的理念の重要性を喪失させ、自分の利益や関心事にしか興味をもてなくしたポストモダニズムの由来は、明治以来の官学の系譜にある。利他主義よりも優勝劣敗という社会進化論をよりどころにしてきたのだから。

 この考え方は経済のシステムを保障する法制度にも当然影響し、日本の現状の法制度では、市場経済の中で勝ち組負け組という格差を、埋める保障制度は完備していない。それが金融危機における雇用問題に噴出しているのが現代である。経済のセーフティーネット、愛情という利他主義的関係性の両方が危機であるということが今回の金融危機で明らかになったともいえる。

 このような理念なき市場経済、理念なき個性化主義に対し、明治近代国家誕生以来、異を唱え、批判的精神で独自の教育理念に基づいて教育を形成し維持してきたのが私立中高一貫校である。

 しかし、従来私立中学というと大学進学実績や偏差値という指標でしか見られてこなかった。公立学校の教育の優劣を測る指標でしか評価されてこなかったのである。もちろん、それが私立学校の優位性を逆に明らかにし、私立学校の教育の温存に役立て来たのだが、世界規模の金融危機の今日にあって、それを乗り越える人間力を育成する本来的な教育を行ってきた本質的な部分を明らかにしていくことこそが喫緊の課題のはずである。

つまり、大学進学実績のどちらがよいかというような意味での私立対公立というガラパゴス的発想が見えなくしてきたものに光をあてることが重要である。見えなくされてきたものとは、言うまでもなく新しい人間を育ててきた私立中高一貫校の教育のことであり、それに気づくには、教育の質という観点から私立学校の教育を探究する必要がある。

ところが、意外にも学問の府である大学の教育学部による私立学校の教育の中身の研究成果は皆無に等しい。

学習指導要領をベースにしているから、基本的には同じことが行われているという形式的平等発想に基づいているために、公立学校の研究で足りると考えられてきたのであろう。その制約内で、私立学校は大いに創意工夫してきたのであり、それこそが21世紀の教育の大きなヒントになるというのに。

しかし、だからこそ、そこにメディアが初めて本格的に迫ることは、テレビ放送の技術革新のエポックにとって、歴史的意義があるだろう。新しい人間が育つ教育のイノベーションを生み出すトリガーになるからである。

☆毎週、私立学校の先生方と打合せをして、撮影の時間をともにしていくわけだが、私学市場の立ち位置から対話をしていくと、今まで気づかなかったことがたくさん見えてくる。これは実に得難い体験だし、勉強になる。私学の間口の広さと奥行きの深さは測り知れない。

☆編集スタッフの方に、「本間さんは毎回ちゃんと学習しているから大丈夫ですよと」と声をかけられて、素直に励みに感じている自分に、この歳になって今さらながら驚いている。「捨我精進」とは本当に奥が深い。

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