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がっちりマンデー 文科省登場

☆昨年がっちりマンデー(TBS)は経済産業省を取材した。その第二弾として、今日(5月9日)は文科省が登場。

☆今回のテーマは、「日本を儲けさせる文科省」「日本の儲かりのタネをつくる文科省」というもの。

☆しかし、結局は、すぐには成果が出ない深海や宇宙の研究は、50年後に花開く基礎研究分野だから、仕分けで予算を減らさないでという文科省の広告であった。

☆ここで、大事なのは広告や広報はダメだではない。プレゼンしなければ、何をやっているかわからないのだから、チャンスがあれば、公共的倫理というルールの範囲内で、努力すべきなのだから、今回のようなことはどんどん官庁はオープンにやればよいと思う。

☆結局、公共的倫理ルールは、なんらかの権力者の恣意性を排除するということである。だから、ルールといえば、制約だ規制だとかいうことにはならない。

☆ここの微妙な差異を意識しながら、広報の正当性、信頼性、妥当性を問わなければならない。

☆TBSが民間で、スポンサーがついていても、公共的倫理ルールを共有している限りなんら問題ないのである。だから、企業や民間と組むから、癒着だとか、そうならにように規制しようとかいう視点は重要であるが、その前にまずは公共的倫理ルールをシェアできるかどうかであろう。

☆したがって、その点はおそらく大丈夫だと思う。

☆気になったのは、オープンにされた教科書検定の判断基準、文化財の保護基準など、官庁というより官僚自身が判断する基準の正当性、信頼性、妥当性のチェックが明らかになっていないことであった。

☆音楽の教科書検定は1人の官僚がやっている。たいへんだなぁというコメント。数学の教科書検定は、検定する官僚がすべての問題を解いて検定しいる。なんてすごいのだろうという感動コメント。もっとも、加藤さんは、ユーモラスではあるが、鋭くも、検査官にすべてが任せられているのはちょっとこわいというような趣旨のコメントも。

☆それにおもしろかったのは、学習指導要領の説明を求められた官僚は、最初は「子供たちの学力を・・・」と言い始めて、はっとして、最低限の学ぶべき学力範囲を検討するところというようなコメントに切り替えた。本当は、子どもたちの学力を向上させるところだと言いたかったのかもしれない。しかし、そのような主観は言えないのだ。これは公共的倫理ルールなのか、主観性排除の規定なのか。

☆官僚の問題は、倫理的ルールの検討の前に、主観性排除という規制に縛られているのかもしれない。

☆これがそのまま公立学校の教育に浸透しているとしたら、おそろしい。主観を排除した教育にほんとうに個性を大切にした教育はできないからだ。恣意性と主観性の差異を考える事が規制されているとはそういうことを意味する。

☆すぐ成果はでないけれど、50年後に花開く仕事をしているのは、もともとわかっている。だから、大量に税金を投入してほしいということにはならない。おそらく恣意性と主観性の差異を思考しつづけることができる、つまりコモンセンスをもっていることができれば、教科書検定という作業自体不要である。仕分けどころではない。そもそも不要論というのも検討する必要があるということを改めて考えさせられる番組であった。

☆TBSさすがやるじゃないか。巧みな戦術を駆使したジャーナリズムのアイロニー?ユーモア?それはともかく、今後も臆さず頑張ってほしい。森永さん自身も、自ら私は文科省のまわし者ですよ、立場上はとコメントしていたが、そのアイロニーもおもしろかった。

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