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桐光の大学訪問授業本第三弾!②

桐光の大学訪問授業本第三弾!のつづき。

☆「未来コンパス」を郵送していただいた。宮台真司さんは、高熱だったにもかかわらず、講演はさらに熱弁だったようだ。それにしても「感染」が世界を変えるというのは宮台さんらしい。

皆さんが、「入れ替え可能」な道具として扱われず、かけがえのない存在として尊重されるには、利害損得を越えた「感染」によって、友人関係や性愛関係をつくることが不可欠になる。「感染」が「入れ替え不可能性」をもたらす。

☆時代は選べないが、「入れ替え不可能性」に挑むことによって時代を変えられる、世界を変えられると。

☆新しい建築は新しい社会的関係を創る。ということは世界を変えるには、たとえば住宅という共同体内共同体を変えるデザインをすることだ。これは山本理顕さんの思想だ。

☆佐藤卓己さんが引用した「公示の樹」は、なんという衝撃。メディアの大欠陥が表現されている。いかにメディアが視聴覚優位の倒錯した世界であったかということを示唆している。五感を無視したメディアが、すでにバーチャルだったということであり、インターネット以前から仮想空間を描いてきたのがメディアなのだ。これでいいはずがない・・・。美学の復権はここに根っこがあったのだ。

☆上野千鶴子さんも良い。自己と教養の距離、つまり差異こそがオリジナリティであるという。だから生徒と教師の距離が必要なのである。そこにしか創造性は生まれない。べったりくっついていると創造性は壊死するのである。友情も然り、家族も然り・・・。離在こそ絆だったのである。

☆石原吉郎さんの詩にもこうあった。

君の位置からの それが

最もすぐれた姿勢である

☆四方田犬彦さんは、ハリウッドというのは、日本人が自分たちにしかわからないと思うようなことも作品にしてしまうと語る。あっ、これが教養である。その差異に気づいた瞬間創造性が生まれる。これは文化というものが文化以上のものであらねばならないということだろう。文化の本質が文化の内側にあるというのは錯覚に過ぎない。文化の中心と文化それ自体の距離に本質はあるのである。

☆そして本川達雄さん言う、学問は脳みそのパンであるという独創。これこそ本質だろう。

☆領域の交差したところに身を置いて視てごらんとは伊豫谷登士翁さん。その交差とは、あっ!共通点ではなく差異そのものの視点である。

☆そしてそれはまた福岡伸一さんの言う「動的平衡」でもあるだろう。

☆バイ菌と私たちの共生というのも交差する生命圏である。藤田紘一郎さんの講演も最高におもしろい。

☆佐々木健一さんの世界が変われば概念も変わるというが芸術の根っこの話もグッとくる。そして引用された世界を変えたデュシャンの≪泉≫もまた差異である。

☆百人一首にのらなかった一首の話がまたよいのだが、ともあれその歌がよい。

夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき

☆恋のみならず、人間の関係の本質は差異であり、離在であること。それがクリエイティビティの発露であるようだ。

☆かくして桐光学園の生徒は、毎月世界を変えることを考えるのである。もちろんこの世界は、自分の世界観のことをまずは指すだろう。入れ替え不可能なかけがえのない世界観、これが大事なのである。

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