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鴎友学園女子研究の必要性①

☆鴎友学園女子の西川校長にお会いして以来、世の学校は、もっと同学園のリサーチをするとよいと確信した。たとえば、世界標準のものさしの必要性は、今では誰でも唱えるだろうが、そのものさしとはどのような環境あるいは条件のもとで形成されるのだろうか。

☆まず第1に重要なことは、世界標準においては、創造性が重要なことは言うまでもない。創造的才能を養える環境や条件がそなわっていないところはまず、世界標準に到達しないわけだ。

☆するとなんと恐ろしいことだろう、教育基本法改正に伴い、学校教育法も改正されたが、同法によると、創造性は高校になってから養われると明記されてしまっている。この法的拘束力の有無は議論の余地が大いにあるが、ともあれ条文化されることによって、方向づけられるのは避けられない。

☆いくら中学の学習指導要領に、創造性育成の文言を織り込んでも、条文の効果にはかなわないだろう。

☆これによって、公立の小中学は、世界標準に達しなくてよいことが法律によって保障されたことになる。

☆ところが、言うまでもなく、鴎友学園女子の理念は「慈愛(あい)と誠実(まこと)と創造」なのであり、ホームページのデザインでは、創造の面積が大きく前面にでている。

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☆創造が前面に出てきているのだから、世界標準のものさしで教育を考えていることがわかる。ところがだ、もし創造だけを前面に押し出したとしたら、どうだろう。実はそれは、ビル・ゲイツの提唱する「クリエイティブ資本主義」の側面にはマッチングするが、それだと格差は解消しない。

☆実は世界市民としての世界標準のものさしを形成するには、倫理なき創造性ではなく、倫理ベースの創造性でなければならない。これは、私の敬愛するハワード・ガードナー教授(なにせ私の拙い疑問に丁寧にメールでやりとりしてくださった)の提唱である。教育の世界標準のものさしの1つの有力なモデルをガードナー教授は提唱していると思っているが、上記の鴎友学園女子の理念のイメージ図は、まさに慈愛と誠実という倫理に支えられた創造性を育成していることを表現している。

☆資本主義における創造性ではなく、教育における創造性の世界標準の基準を超えているかどうかを考える場合、まずは鴎友学園女子の創造性がモデルになるのではないだろうか。

☆もちろん、ガードナー教授やブルーム教授の弟子たちなどの論文を読むことによって、それも了解可能なのだが、一般にはそれは困難である。それよりも鴎友学園女子を世界標準のものさしモデルにし、比較対照してみる方が効率もよいし、保護者にとって有効だろう。

☆もちろん、鴎友学園女子の教育が世界標準であるかどうかは予めチェックしておく必要がある。かくして、鴎友学園女子研究は必要なのである。

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