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読売の社説の見識違い

☆今日(2010年6月6日)の読売の社説に、「法科大学院 理念倒れの現状を改革せよ」という題目の論説が掲載されていた。

「法律家の養成機関としての役割を担えない法科大学院は淘汰(とうた)される。それは、やむを得ない流れといえるだろう。兵庫県姫路市の姫路独協大法科大学院が、2011年度以降の学生募集を停止することを決めた。現在の在校生17人が修了する時点で、大学院を廃止する見込みだという。修了すれば新司法試験の受験資格が得られる法科大学院は、04年に各地で開校したが、撤退が決まったのは、今回が初めてだ。」

☆もし理念ということがロースクールを構想するときに、あったのなら、「淘汰」ということは織り込まれていなかったはずである。

☆はじめから、市場の原理で競争させ、勝ち組の優秀なロースクールと司法試験合格者を出すことが目的だったのだろう。理念というのは、普遍的な価値や善という要請がある。しかし、法実証主義の法曹界にそのような理念が設定されているはずがないのである。

☆だから、「理念倒れの現状」というのは誤謬である。「理念なき現状」にあって、市場の原理で勝ち組負け組の法科大学院の格差が生まれただけのことである。

☆法実証主義の近代日本社会にあって、この淘汰の流れはむしろ当然なのではあるまいか。だから、冷静に考えてみれば、理念がないのだから、法技術を磨けばよいだけだ。司法試験予備校が活況を帯びるのもやはり当然である。

☆もちろん、これでよいのかどうかはわからない。世界市民を輩出するという近代の自然法のルーツである理念を大事にしている私立中高一貫校のキャリア教育にあって、どのように法律家をとらえるのだろうか。大衆の反逆社会維持装置として法曹界があるのは、歴史認識上明かである。

☆私立中高一貫校のキャリアガイダンスに、文科省の設置基準によって成り立つロースクールがジレンマを投げかける。国家権力から距離をとる法の領域、つまり究極善を追究する法の領域はいかにして可能なのか?こんなところで、大きな問題が浮上してくるとは・・・。

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