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鴎友学園女子研究の必要性③

鴎友学園女子研究の必要性②のつづき。

☆前回まで、鴎友学園女子の校訓「慈愛と誠実と創造」を倫理ベースの創造性と読み替えてきた。実は、それには訳がある。今NHKでハーバード大学のサンデル教授の政治哲学の授業が公開されているが、その番組「白熱教室 JUSTICE」を媒介項(メディア)にすることによって、鴎友学園女子の教育の先進的で普遍的であることが映し出されるからである。

☆サンデル教授の授業の革新性は、ギリシア時代から議論されてきた正義の問題を現代化しているところにある。従来の学者だったら、歴史的学説として、古い順番から解き明かして、それぞれの時代の説は、その時代に生まれたものとして、それはそれで終わりになっていたが、サンデル教授は、そのすべての学説を、それぞれ現在において多様なフラットな価値として並べて見せたのである。

☆フラットな価値があることを示すのに、現在の政治判断やビルゲイツのような社会的貢献と税金の問題、同性婚などの家族問題の判断について、いずれの学説でも一長一短があり、今日でもいずれかの説に立って、議論が続いている可能性を示唆しているのである。

☆このサンデル教授を媒介にすることで、日本の公立学校は、功利主義的判断がメインで、私立学校は、それ以外の可能性が多様性としてあることがわかるのだ。

☆鴎友学園女子の場合は、カントやロールズのような、自律と相互性という実践理性ベースの創造性が働いていることがわかる。

☆そして鴎友学園女子研究をすることによって、このカント的あるいはロールズ的(マックス・ウェーバー的といってもよいと思う)倫理ベースの創造性をどのように形成していくか、その具体的な教育実践が明確になるのである。

☆このことは、鴎友学園女子の世界標準の性格を考える場合、重要である。というのは、世界標準といっても、鴎友学園女子の場合は、ヨーロッパ的あるいはアメリカ的な倫理ベースの創造教育だということが明確になるからである。

☆品川女子の場合は、イギリス的な功利主義が前面に出てくる。もちろんイギリスもカント的でロールズ的な発想の価値観もある。ロックやヒューム、アダム・スミスの流れがあるからである。あるいは今日的にはギデンズ的な流れもある。第三の道のブレイン・・・。

☆それでも、品川女子学院の功利主義は、公立と違うのは、ベンサムというよりJ.S.ミル的な考え方に近いからだろう。

☆さて、話題を鴎友学園女子の教育に戻そう。「慈愛(あい)と誠実(まこと)と創造」の校訓が、具現化されるとそのチャート図はどうなるかというと、次のようになる。(「私立中高の挑戦 未来を創る教育」の番組撮影のときにいただいた資料から)

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☆じっと眺めると、倫理ベースであることが最終的に極めて重要であることが見えてくる。もし倫理ベースでないと、リバタリアンを生み出すことになる。もちろん鴎友学園女子は、リバタリアンを育てることはない。功利主義の行きつくところは、リバタリアン。自由であればなんでもいいわけだ。これが企業の創造性の歯止めが効かないところなのだ。

☆そしてこれが女子校でなければできない教育のよさなのである。もし共学校だと、日本社会を支える企業に対し批判的思考は育たない。社会に出てから、はじき出されるような価値観をあえて育てないのが、一般の共学校の常識だからである。

☆だから、逆にこの一線を画する批判的思考を教育の中に動員している共学校は、すごいことになる。激動の21世紀。功利主義的企業観では、どうやらやっていけなさそうだという転換期にきている。この批判的思考を育てられる、男子校、女子校、共学校はどこか?

☆その選択はもしかしたら極めて重要になるかもしれない。どうやって、選択したら良いのか?その尺度は?今のところこの尺度が話されるような機会は受験市場ではない。受験情報を取り扱うジャーナリストもいない。そんな難しい話は売れないという見識のなさなのは、まさに功利主義・・・。ともあれ、だから、ある程度、受験生の保護者は自分で見出さねばならないのだが、尺度という抽象的なものは、やはり難しいので、鴎友学園女子モデルをフィルターや媒介項にして、比較してみると、その学校が少なくとも功利主義であるかどうかがわかる。

☆さて、功利主義的ではないが、理性的な正義に価値をおかない学校もある。サンデル教授に言わせると、共同体的正義主義の学校である。アリストテレス的であるから、これはカトリック学校の場合が多い。

☆人生の目的は、計算可能性と合理主義にもとめる功利主義でもないが、自分の理性を信じるカント的な流れでもない。とするならば何に準拠するのか?それは究極善である。人生はこの善に向かうためにあるのだという価値観。

☆サンデル教授は、現代の世の中にアリストテレスの復権を試みているが、果たしてそれは可能だろうか?今のところ、これを自覚して教育実践をしているカトリック学校はないから、積極的にリサーチはできないが、無意識では、栄光などはすでにそれを実践している。それに比べると聖光は、どちらかというと相対的に功利主義的である。

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