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サンデル教授と内田樹教授

☆今日のサンデル教授の白熱教室は、教授自身の立場を明らかにするところまでやってきていたので、またまたおもしろかった。しばらく、日曜は都合がつかず見ていなかったが、それほど飛んでいはいなかった。

☆一貫して正義の捉え方を繰り返しているので、ブレがなくわかりやすいのだろう。

☆今までは、功利主義の正義を解説し、カントやロールズのような選択の自由の正義を解説してきたが、今回はアリストテレス。むむ。2000年以上も前の思想じゃないか。しかも、このアリストテレスの現代的意義を復興させるのが、サンデル教授の立場であるのがわかったとき、驚愕した。

☆善は正に優先するというコミュニティ重視の発想だからである。今までの2つの発想は、善はあくまで個人の問題で、社会にあっては、功利主義的計算が保障されること、あるいは選択の自由が保障されることが優先されるのだが、アリストテレスにおいては、善を追究する人格を市民は身につけ、社会を構成していくという理念共同体的発想なのだ。

☆アリストテレスにとって、そしてサンデル教授にとって、政治はいわば同時に善なる人格形成の教育の場でもある。

☆これは内田樹教授にも通じる。AERA(2010年4月19日号)で、脱ゆとり教育は、「つめこみ回帰」を意味し、勝ち組負け組競争を推奨し、自己利益を生徒に確保することを目的にした教育だと、その功利主義的側面を批判。そして、教育は「共同体の維持」のための制度なのだと。

共同体成員として、負託された義務を果たし、弱者を支援し、限りある資源の公正な分配を気づかう人間をつくること。それが教育の目的・・・。

☆なんてアリストテレス主義的なのだろう。交換の正義より公正な分配の正義を重視するのだから。

☆サンデル教授と内田樹教授は、どこか似通っているのかもしれないし、理念共同体を目指している私立学校とも共通するものがある。

☆ただし、サンデル教授はアリストテレス主義者であると同時に、どうもトミズム的流れもあるのではないかと思う。というのは、アリストテレスでは、完全に奴隷制を克服することはできないからだ。

☆この奴隷制を克服する思想とアリストテレス的な配分の正義と交換の正義を存在論的な重層構造で包括したのが、トマス・アキナスである。

☆そういう意味では、近代の枠組みの中にいる内田教授は、そこには属さないだろう。また私立学校は、トマス・アキナスとは違うかもしれないが、そこから脱するのはなかなかの至難の業なのが、トミズムの理念共同体主義の奥行きの深さである。司馬遼太郎が、ヨーロッパの人たちは、忘れているけれど、アキナスの精神を今も生かし続けていると言っているのを思い出す。

☆サンデル教授がアリストテレスは生きているということは、トマス・アキナスも生きているということであり、理念共同体である私立学校の教育こそ、未来を創る政治学なのだということだろうか。

☆政治学者としてのサンデル教授の心のなかに、理想の大統領は、もしかして、ケネディということか・・・。憶測に過ぎない。

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