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鳩山首相辞任が拓く私学の価値

☆本日、鳩山首相と小沢幹事長が辞任を表明した。このことは時代のニーズに従っているのではあるが、もう少し深い層では時代の要請に導かれているともいえよう。

☆とにかくテレビをはじめとするマスコミは、目先の損得勘定・感情である時代のニーズを基準に、喧喧囂囂たいへんな騒ぎであるが、決して侃々諤々はやらない。騒ぎたてるが、きちんと議論しない。だから、マスコミレベルでは、時代の要請が何であるかは、見えてこない。

☆かといって、学者などの有識者もどうかというと、政治学あるいは経済学の枠内でしか述べないから、教育にとって、どのような時代の要請が問いかけられているのか議論されることはない。

☆もちらん、教育学者の能力が低いということでは全くない。教育学者は、今のところ残念ながら、もっとも学問の自由から遠いところに設定されているという不幸があるのである。というのも日本の教育学者は、基本的には公立学校の研究をしている。私立学校の研究はほとんどされていない。

☆なぜなら、文科省や政府の教育政策の枠組みの中で研究をしなければならないからだ。もちろん、政策の有効性や妥当性に対して学説を論じることは可能であるが、そもそも文科省の正当性について論じることはできないのである。

☆したがって、その枠組みからかなり自由な立場にいる私立学校の立場から、未来の教育について語るのが日本社会にとっては有益なことなのだ。

☆さて、時代のニーズは重要であるが、そのニーズが保障されるには、日本の国家という社会的な器がしっかりしているという条件が必要だ。タイタニック号の中で、ニーズが満たされても、それはやがて瓦解する。

☆タイタニックを救う時代の要請に耳を傾けなければ、どうしようもない。いまここでを幸せにいきることと未来の社会が幸せであることの両方を最適化することはいかにして可能なのか?このことを問いかけてきたのが、明治維新以降、官学に対する私学の位置づけだったのである。

☆そして、この闘争の解決方法の原点は、近代国家、近代市民社会の理論を生成してきた啓蒙主義思想・功利主義・理念主義・進化主義といった思想家に由来する。

☆そんな古い話と時代のニーズをみることしかできない人はすぐに言うが、時代の要請に耳を傾ける人は、不易流行という言葉を思い出す。

☆NHKの番組で、「テストの花道」というのとサンデル教授の「JUSTICE」という番組がある。前者はニーズに対応し、後者は要請に対応している(もっともNHKでは、売れているからというニーズから制作しているのだろうが)。

☆おそらく公立学校の範囲では、教育というと、「テストの花道」で突破できるということになるであろう。しかし、時代の要請は、さらに「JUSTICE」の教育への貫徹を問いかけるだろう。

☆ホッブスが何を言ったか、ロックやルソーが何を言ったか、カントが何を言ったか、ロールズがそれらをすべてどうのように統合したかは、サンデル教授の授業を見ていればわかる。そして、この古くて新しい思考が、日常の会話の中に生き生きとしていることもわかる。そう生きているのである。

☆結局、自然状態をポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるかで、社会契約に対する考え方は大きく変わる。

☆ホッブスのように自然状態を戦争状態ととらえれば、それを抑える社会契約として有効なのはリバイアサンになるだろう。

☆ルソーやロックのように自然状態を人間の本来が保たれる自然法があるとする考え方からすれば、社会状態はそこから堕落するわけだから、社会契約によって回避しようということになるだろう。

☆ただし、ルソーは恐ろしくアイロニカルだ。それでも自然状態にもどることはできないというのだから。ロックは、社会契約によってそれは実現できるとするのだろう。できるとするならば、あとは市場の原理で、どんなに功利主義的に考えても、最終的には見えざる手が働くからとなる。市場の原理はイノベーションも生む。イギリス的な功利主義や進化論が生まれ出ずる理由は、わかるような気がする。

☆やはり、イギリスはアリスの国である。パラドクスを生きる。自然状態の捉え方が違おうとも、社会契約の捉え方が違おうとも、結局社会は理想を実現できる機能なのだと。やはり経験主義的だ。

☆しかし、それだと公平性は、平等はどうなるのだ?制度設計は、社会契約という仮想的な物語ではやっていけない。アメリカは、そこでプラグマティックな方向に流れるのだろう。戦略的にデザインすること。それが大事なのだ。

☆しかし、その生みの親は、ドイツの思想家カントとヘーゲル。アメリカはヘーゲリアン・ウェイは大好きだ。プラグマティズムの流れはここからきているし。

☆じゃあ、なぜドイツはナチを生んだのか。それはフロイトとマックス・ウェーバーの存在が大きいのではないか。イギリスやアメリカにとって社会は信頼できる牧歌的な雰囲気がある。しかし、ドイツにとっては、社会は抑圧者である。抑圧に耐えることで、自己実現する。抑圧があっても勤労・勤勉・倹約でのりきるのだ。

☆だから、抑圧がボキっとおれたとき、たいへんなことが起こる。日本は、開国時に両社の考え方をとりいれたし、実は啓蒙思想家が好んだ中国思想のベースが鎖国時代に醸成されていた。だから、ある意味中途半端。ドイツと反目したり、枢軸国になったりと。

☆この基本的な考え方は、各国不易流行という形で今も継承している。だから、EUの中でドイツが台頭しているのを、アメリカはイギリスと協働して阻止しなければならない。親米派のフランス人と協力して、ドイツをコントロールしようとする。だから、ストラスブールにEU議会や欧州評議会を設定する。

☆スイスが擁護したルソーは、いずれでもない。だから社会契約は、自然状態に戻れないと言っているだろうと。ルソーの自然状態は、自己保存の能力と憐みの情、つまり愛という矛盾を解決している楽園である。しかし、社会状態は、この矛盾を解決できないから、葛藤、闘争、戦争が起こるのである。社会契約を結んで、一般意志という仮想の取り決めをしようよと。でも契約は常にリスクがあり、解消できない・・・。いずれにしても、自由と平等は、社会状態でなんとかなるんだけれど、そのアレンジを契約によるからリスクは消えない。自然状態だとそこは契約ではなく、愛なんだよなぁと。

☆だから、教育学では、エミールがいつも登場する。契約という市場の原理ではなく、愛が大事なんだと。しかし、文科省は、愛は語れない。それは宗教教育につながるし・・・。もちろん、友情と男女愛は、道徳の時間と性教育の時間に学習できる。しかし、人類愛は語れない・・・。それは市場の原理に任せようとなる。つまり主観的な問題だからと・・・。

☆この愛を20世紀以降語ったのが、クーデンホーフ・カレルギー。「友愛」という心の革命を願ったのだ。そんなことを真面目に聞いたかどうかは、わからないが、欧州評議会は、カレルギーに触発されたチャーチルが提唱してできあがった。それがEUへとつながるきっかけ。だからクーデンホーフ・カレルギーはEUの父ということになっている。

☆鳩山首相は、祖父一郎がカレルギーと親交をもっていたために、「友愛」思想を継承した。しかし、ルソーが一笑に付してしまった。社会状態で「友愛」なんて無理なんだよと。社会契約それ自体が、功利主義的で進化論主義的なのだから、そこに相容れない「友愛」を持ち出しても、社会状態ではうけいれられないと言っているじゃあないか、遠の昔に・・・と。

☆しかし、ルソーがどういっているか、ルソー学者じゃないからわからないが、ルソーの問題意識である「言語起源論」からすれば、言語を変えれば、社会は変わるという事になるだろう。

☆自然状態に戻るバージョンになっていない言語は、世界の限界なんだと。そこを超えるには、言語のバージョンを超えることだと。

☆ルソーのヤヌスの両顔の虚を突いてきたのが、実は私立学校である。私立学校は「愛」という理念を教育に浸透させてきた。そのためには言語のバージョンをアップさせてきた。そのノウハウがある。

☆民主党は、スローガンとしての「友愛」を捨てることになるが、脱官僚は捨てないだろう。教育をなんとかしたいという思いも消えないだろう。そのときに、「友愛」情況を仮想的に護るために、憲法9条を改正する方向に大きく動くだろう。

☆そのときに自衛隊そのものを廃棄する非戦論にたつのか、自衛隊を軍隊として、欧米・中国のようにリバイアサン国家を形成する方向に大きく進むのか。つまり、自由と平等を護り、仮想的「友愛」情況を結果的に構築すればそれでよいということになるのか。

☆その選択判断は、なにを基準にするのだろうか。これがサンデル教授のJUSTICE問題の意味であり、戦後教育基本法が、非戦論者である私学人によって形成されたことの意味なのである。

☆私立学校の教育の意義は、まさにこの選択基準の問い返しの拠点であるということだろう。

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