2012年の変化にいかに対応するか③
2012年の変化にいかに対応するか②のつづき。
☆読売新聞(2010年7月1日)によると、
日本政府が、富裕層に限定していた中国人の個人観光ビザの発給要件を7月1日から大幅に緩和したのを受け、中国都市部の「白領」(ホワイトカラー)を中心に、日本ツアーが盛り上がりを見せている。主役は、東京や大阪でのショッピング目当ての若い女性たちだ。
☆中国人にとって、日本全体が軽井沢機能になるということだろうか。まずは観光だろうが、さらには週末リゾート地としてシフトするのだろうか。現代桃源郷!
☆日本政府観光局のレポートなどをちらちら見てみると、食事と現代的・伝統的建築、ポップカルチャー、ハイテク、現代都市などが、観光に訪れる外国人の日本イメージを形作る要素である。
☆食事といっても、もてなしやマナー、芸術作品のような盛り付けなど、単純に生理的欲求を満たす欲求ではない。尊重されたい欲求や家族の愛情をゆっくり確認できる欲求などがそこにはあるだろう。
☆現代的建築のみならず、伝統的建築にも興味があるというのだが、日本の都市デザインには、伝統も現代もあるし、ポップカルチャーもハイテクもある。日本の都市は、いわばコンパクトにすべてが揃う文化のコンビニである。
☆しかし、それは安心・安全欲求が満たされるという大前提があるからだ。セキュリティ王国。おそらく警察国家というより民間のセキュリティ企業の活躍があるのだろう。
☆もてなし、セキュリティ、多様性・・・。これらはワンセットである。それから、日本料理がアートみたいだという外国人の反応は重要だ。ポップカルチャーが村上隆氏によってコンテンポラリーアートとの境界線を破ったように、あらゆるものがスーパーフラットに、コンテンポラリーアートと交差する。
☆あらゆるものの美学化、日本の日常生活全体のスーパーフラットなアート化。ポストモダンのアート化・・・。
☆デザイン思考が重視されているというのは、そういうことの兆しかもしれない。
☆おそらく今回の岡田ジャパンのおこなったサッカーもある意味アートであるかもしれない。デュシャンの≪泉≫のように、あらゆるものをアートにシフトすることはいかにして可能か。
☆コンテンポラリーアートでは、やぶれたジーンズにペンキを塗ってもアート作品であるが、それに近いファッションで渋谷を闊歩している人たちは、若者に限らず、今では日常風景ではないか。
☆ニューヨークやロンドンを歩けば、ニュアンスはだいぶ違うが、コンテンポラリーアートが日常に流れ出ている。ベルリンやパリ、ストラスブールはまだミュージアムの中にしか存在しない。おそらくベルンもチューリヒも。モスクワもそうだろう。ミラノもまだまだ。シンガポールもその点はまだまだなような気がする。香港や上海はどうなのだろう。
☆フィンランドもまだコンテンポラリーアートという側面ではトラディショナルな気がする。ルクセンブルグは、EUの施設の周りにはその気配があったか。
☆そういう意味では、福岡も、大阪も、名古屋も、東京も、横浜も、外国人から見ればコンテンポラリーアートが日常にあふれているのではないだろうか。そもそも日本の祭りは、アートでもあるような気がするが・・・。
☆そうそう日本の場合、何も都会だけがコンテンポラリーアート化しているわけではない。まだまだ自然をミュージアムにという作為があるけれど、越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」のように田園地帯がコンテンポラリーアート化する試みも行われている。日本だけではなく、同じような試みはイギリスをはじめ海外でも行われているわけだから、近代都市も田園都市もそういう傾向は色濃くでてくるだろう。
☆しかし、それがなぜ日本からなのかというと、大名庭園文化があるからだと思っている。
☆ところで、なぜこの日本の状態が教育と関係があるのだろう。この動きをベネッセはすでにキャッチしている。越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」のスポンサーでもあるし、直島の芸術や美術館もそうだ。安藤忠雄さんと協働して多くの建築も手掛けている。東大のホールもそうではなかったか。
☆しかし、何よりも、私立中高一貫校の教育そのものがすでに美学ベースのカリキュラムである。大名庭園的発想の教育空間を有している私学もたくさんある。
☆ただし、現状では、それを前面に出せないでいる。それはベネッセも同じである。受験市場の意識はまだまだコンテンポラリーアート化してはいない。日能研はある意味そうなのだが、職員も保護者も学校の先生方も、その表現に驚き、違和感を感じるものだから、やはり前面にそれを出すことはできない。どうしてもブレーキがかかる。
☆私立学校や受験の中で美学を前面に出すには、「粋」でなければならないが、まだまだ「野暮」がよいとされているのかもしれない。
☆単純化するのは危ういが、九鬼周造や西田幾多郎の「粋」な生き方の復権が2012年の変化を生かすことになるかもしれない。
☆そうそう「お笑い」を落語のコンテンポラリーアートの領域にシフトできたなら、夏目漱石の脱構築もまた2012年の変化を新たな世界を拓く転機になるのかもしれない・・・。
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