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21世紀型スキル教育の意味するところ

☆経産省や文科省がグローバル高度人材を育成しなければと焦っている。しかし、聖学院の平方先生や白梅学園清修の柴田先生、東京私立中高協会の会長近藤先生や日本私立中学高等学校連合会会長の吉田先生などのお話をお聞きしていると、政府・官僚のGDP復活をねらうという意味での人材育成は、本当の意味でのグローバル人材育成ではないと感じ入る。

☆勝ち負けの論理ではグローバル人材とは言えないということだろう。むしろインテルやマイクロソフト、シスコなどがOECD/PISAのメンバーとも協力しながら進めている21世紀型スキルの教育のほうが、私学の先生方の考えるグローバル人材の意味に近いかもしれない。

☆インテルのペイジ・ジョンソン氏の考える21世紀型スキルの教育とは、次の通り。
http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/04/30/21st_century_skills_intel/index.html

①批判的思考力(批評精神を持って考える力)と問題解決能力
②コミュニケーションとコラボレーションの能力
③自立的に学習する力
④ICT(情報通信テクノロジー)を確実に扱うことのできる能力・スキル
⑤グローバルな認識と社会市民としての意識
⑥金融・経済に対する教養
⑦数学、科学、工学、言語や芸術といった分野への理解を深めること
⑧創造性

☆日本の公立の初等中等教育では、このうち①と③はなんとかなりそうだが、他のビジョンはまったく手つかずである。21世紀型スキルとは結局21世紀型教養ということであるから、この教養が欠落したまま大学や企業でグローバル人材をつくらねばという経産省や文科省はちょっと無理があるだろう。

☆もっとも、逆にそのことがわかっているから、GDPという量の競争を強引に押し進めるしか手がないのであろう。

☆しかし、ちょっとした創意工夫で②や⑤や⑦や⑧を体得できるようになる。それは音楽と図画工作と総合学習を統合すればよいのである。すると国語などの主要教科と同じくらいの授業時間数を創出できる。そして、「水」とか「リサイクル」とかというテーマで、一年かけて調べ、議論し、デザインと編集をし、学校空間を1か月間ギャラリーにする。時間によってはセミナーを開いたり、パフォーマンス、演奏を仕掛ければよい。よく美術館のイベントでやっているように。

☆地域も巻き込めるので、シチズンシップや公共性についても体験できる。あまりに優秀な生徒の作品は、美術館が購入することもありだろう。起業家精神も体験できる。

☆日本の公立学校がすべて行ったら、世界でそんな教育をやっているところはないから、良い意味でインパクトがある。それを見学しに各国から視察に訪れれば、子どもの芸術観光政策にもなる。そのときプレゼンをするのは生徒。しかも英語で。結果的にGDPの成長率もアップするだろう。

☆なんでそんなことを思ったかというと、知人の公立小学校の先生からこんな話を聞いたのがトリガーとなった。

とにかく図画工作の時間は少ない。だから、超大作に挑めない。しかもリサイクル材料を使うようになったから、余計ゴミがでて、その処理や対応に時間が取られてしまう。子どもたちもリサイクルの材料でできた作品に愛着をもてない場合が多い。だから、美学的センスの体験ができない。作品づくりに創造的な喜びをなんて言われても無理ですよ。そういうジレンマをかかえているのですよ。

☆たしかにそうである。しかし、デュシャンの便器の泉作品や今月ベルサイユで行われる村上隆氏の作品が物議を醸している話を生徒と共有し、リサイクル作品がいかにして芸術作品になるのかを議論することは極めておもしろいのではないかと思う。

☆図画工作や美術の作品観が、コンテンポラリーアートのレベルまでいっていないのに、リサイクル素材というコンテンポラリーアートにうってつけの材料を使ってしまっては、アイデアがないとうまくいかないのは当然だ。

☆授業時間数の問題はたしかにあるが、芸術科目のカリキュラムが古いということではないか。新しいコンテンポラリーアートを通して芸術の基礎を学ぶことは可能なはずだ。カリキュラムの発想が不易流行ではなく、ただ古いだけでは子どもたちの目が輝くはずはない。

☆教育の発想の不易流行。これこそが21世紀型スキル教育の本当の意味だろう。

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