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白梅学園清修の対話の平衡感覚

☆世の中は鈴木寛文科副大臣の「熟議で教育が変わる」という発想が注目され、ビジネス研修でファシリテートやコーチングのルーティン化が当たり前になっている。

☆iPhoneやiPadを活用した新しいコミュニケーション、思考デザインにもとづいた東大iSchoolのプログラムも話題になっている。

☆一方で、ムハマド・ユヌス氏のような対話によってソーシアル・ビジネスを形成していく流れにユニクロも参加したということになっている。どうなるかわからないが。。。

☆そして重要なことに、核抑止力はもはや効果がないという議論がされている。超テロリズムの前で、抑止力は無効なのだと。核なき世界の枠組みを形成しようよと。抑圧的なコミュニケーションはもはや意味がないのである。。。

☆前者は戦略的なコミュニケーションの話で、後者は創造的なコミュニケーションである。もちろん、こんなにはっきり区別できるものではない。どちらの極が重点を占めているかの話でしかないが、そこの平衡感覚こそ対話に期待されている。

☆人間の言動や選択判断は、つねにこの対話による平衡感覚である。だから、油断するとクラッシュする。常に対話にはリスクがあるのである。対話こそリスクマネジメントの粋なのかもしれない。

☆対話は油断すると、互いの間に常に不安を生み出す。実に面倒で厄介なシステムだ。しかし、その不安や厄介さを解消するのも対話である。問題解決。それは戦略的コミュニケーションの領域の話であって、創造的コミュニケーションの領域では、常に問題の発見の連続なのである。ワクワクという好奇心と不安の醸成と問題解決への収束。

☆しかし、その醸成と収束の連続から脱することはできない。。。

☆最近何人かの高校3年生と思考問題に取り組んでいるが、この戦略的コミュニケーションの領域をテクニカル層、創造的コミュニケーションの領域をファンダメンタル層と呼んでいる。

☆アイデアをサポートする論拠を組み立てるとき、テクニカル層からなかなか出られないと苦悩する彼らであるが、そこは対話によってファンダメンタル層の探究の道を歩んでいけるという実感は抱いている。

☆彼らは、テクニカル層での対話は、おもしろがるが、それだけでは満足できない。ファンダメンタル層に掘り進むモチベーションが高い。おもしろいことにテストで高得点がとれたとか難しい数学の問題が解けたということが達成感だなんていっているうちは、まだテクニカル層での満足で、そこには思考は働いていないのだと感じるようだ。

☆もちろん、そういうわりきった感じ方はどうだろうか、それではテクニカル層からファンダメンタル層にシフトするとき、断絶感が残るのではないか、ループが大事ではないかと語りあう。(つまり、テクニカル層とファンダメンタル層の間の境界線や壁をオープンにするスーパーフラットな関係も大事で、境界線や壁を残したままだと、問題解決先送りに過ぎないのだと・・・。この話は一見パラドキシカルなので、ここではこのへんで)

☆かくして、ファンダメンタル層に掘り進むには、対話が必要なのであるが、そのときの参加者は誰か?教師と生徒たちではあるが、それだけではない。もしそう判断したら、それこそテクニカル層でしか参加ということを考えていないではないか?

☆教師も生徒たちも、様々な体験をしている。旅行も仕事も勉強も読書もイベントもプロジェクトもインタビューもすべて体験である。すべて対話体験である。この莫大な対話体験の記憶の動員がファンダメンタル層での参加型の対話と呼ぶべきものである。

☆お気づきの方もあるとは思うが、デヴィット・ボームの「ダイアローグ」と一致する対話発想である。ボーム自身は、テクニカル層を断片化とか顕在秩序と呼び、ファンダメンタル層を内蔵秩序と呼んでいる。ビジネスの場では、前者を見える化とか形式知と呼び、後者を暗黙知とか呼んでいる。

☆しかし、社会科学的発想、とくに経済概念を借用しておいた方が、小論文などでは実用的なので、ケインズのメタファーを活用して対話をしているというのが本当のところである。株価や為替の変動の現状を分析する用語をメタファーとして使っているだけである。あくまで、メタファー。。。

☆ともあれ、この両層をいったりきたりできる対話の平衡感覚こそ重要なのだが、世の中はそうはうまくいかない。やはり目先のことが最重要であることにかわりはない。しかし、それにもかかわらず、ときどきテクニカル層にファンダメンタル層から芽吹く一輪の野のすみれが花開いていたら、ホッとするではないか。

☆この大学進学実績、学歴社会、受験勉強、景気低迷、失業問題、年金問題決、環境破壊、核問題など喫緊の問題が山積している社会にあって、テクニカル層の話題だけではなくファンダメンタル層からの話題もあるとよいのに・・・。

☆そんなことを思っていた折、英国研修から帰国した白梅学園清修の柴田副校長のブログを訪れてみた。「水やり」というエッセイが書かれていた。

☆小さな花々の命を愛でる生徒のファンダメンタル層における構えの話から、保護者や教師が、日頃のテクニカル層での悩みからファンダメンタル層への入口を見つけるにいたった話まで書かれているのだが、清修の対話のシステムの真骨頂が描かれているではないか。

☆水やりの距離感。焦ってテクニカル層だけに水やりをしても、草花は育たない。かえってダメになる。ファンダメンタル層に染み込む時間を大切にしなければという話である。

☆対話の平衡感覚を大事にしている清修の夏のワンシーンである。

参照)→清修だより「水やり」(2010.8.6)

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