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教育の本質が語れないのはなぜか?

☆鈴木寛氏が行っている「熟議」。その発想は、当然ながら熟議民主主義。ベネッセの小村氏が、その学問的背景については、サイト「熟議カケアイ」で公開されていると教えてくれた。

参照)熟議デモクラシーとコミュニティ・ソリューション

☆開いてみると、なんと学問的リソースが満載ではないか?ここまでの射程がないと文科省と議論ができないのか?と少し疑問に思ったが、まあ、灘→東大→官僚→大学教授→議員という生き方をたどっているから、政治家や官僚がすべてこのような教養をもっているわけではないだろうとも思ってみたが。。。

☆ただし、圧巻ともいえる学問知・政策知なのだが、公共知がないのには少し驚いた。それとも市民もこのぐらいは学ぶのは当然ということ?

☆どこか官尊民卑、学尊民卑な匂いがする。この国は知の格差がやはり格差を生む根源である。それを打破するための熟議民主主義なのだろうが、コミュニティソリューションなのだろうが、背景には権力的コミュニケーションが見え隠れする。

☆政策形成という明確な目標があるから、どうしても戦略的コミュニケーションになり、公共的コミュニケーションにはならないのもしかたがないといえばしかたがないか。

☆政治主導でも政策主導でもなく、コミュニティ主導でというのもわからないわけではないが、この知の格差をなくす教育システムが構築されない限りどうしようもないだろう。

☆それによくみると、学問知として多くの資料を並べているが、リバタリアリズムを排除しているし、カント的世界共和国、あるいは世界市民的要素がそれほどない。基本的には第三の道路線にグルーピングされる学問知に偏向している。

☆従来の大衆民主主義の限界を批判する立場の学問知を集めオープンにしているから、タブーはないように見えるが、偏向しているということは、タブーの部分がやはりあるということだろう。

☆この学問知は、政策知を支える範囲で盛りだくさん収集されているのではないかとふとよぎる。消費税の問題、ワークフェアやベーシックインカムなどの年金以外の社会保障の政策、分ちあいの経済政策など、着々とその正当性を根拠づけるエビデンスばかりが選択されているように思うのだが、それは市民の浅学的な感じ方なのだろうか?

☆功利主義的な思想も、J.S.ミルのような思想家は、最終的には黄金律に到達するという本質的な議論をしているわけだが、ここのアイデアがどうしても無視される構図になっている。聖書の黄金律など政治・政策の世界ではできないのは、法制度上の問題ではあるが、法感情としてはどうなのだろう。

☆市民的立場の公共知からすれば、法制度の前に法感情の問題が結構大切なのだが。。。

☆いずれにしても、圧倒的な学問知の格差が、政治や政策のチェックをできなくしていることもあるのではないか。市民はやはり法感情を第一に考えてチェックするしかない。学問知ではなく感情知でいこう。

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