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日本の教育が変わる動き

☆日本の教育が変わる必要があるとは、誰もが思っている。それがいかにして可能かが問題である。それから、真空の空間で教育が変わるわけではないのは言うまでもない。

☆変えたいというビジョンはわかるが、どこまでバージョンを上げるのか、そしてそのためには、バージョンのレンジごとにどんなイノベーションを生み出すのか、イマジネーションが大事なのだが、そのイマジネーションは対話することからしか生まれないだろう。

☆各方面の人と対話すること。しかもスーパーフラットに出来る人と。権威を持ち出し、忙しいからとか立場が違うから話せないという人とは対話が出来ない。拒否されるのだから、しかたがない。中には何度も説得する場合はあるが・・・。ともあれ、スーパーフラットな対話には、社会のニーズを超えた、時代の要請が見えるはず。

☆社会のニーズはもちろん大事であるが、それはバージョンをアップさせるトリガーにはならない。そのトリガーはニーズでがまんできない要請から湧きおこってくるである。

☆その1つの湧水が、文科省の副大臣鈴木寛氏(すずかん)の動きから出現している。その湧水がやがて大河になり、山をも動かす勢いになるかどうかはわからないが、10年以上前から悪戦苦闘しながらやってきたことが、今湧水となって地表に表れていることは確かだ。

☆9月に出版予定の寛氏の本のタイトルは『「熟議」で日本の教育を変える』。新しいwebの動きやiPadなどの新しいIT機器を活用しながら、新しい対話を実践している。ディスカッションでも研修でもない対話。デビッド・ボームのいう新しい価値が生まれ出る力が生まれるトポスとしての熟議が動いている。これはやはり何かが変わるのである。

☆対話の方法とツールが変わるのだから。変化は上からではなくスーパーフラットな場から生まれる。その場に近い場の1つが熟議かもしれない。

☆そして、そのような動きに乗っている、というよりも促進しているといった方がよいのかもしれないが、ともあれ、ベネッセの小村氏は、自身のtwitterで、その動きをリアルタイムで更新している。

☆私もときどき登場しているが、こんなふうに書き込まれている。

・今日、私立学校研究家の本間勇人さんとお話して、本間さんの掲げる「イノベーティブ・スクール」のイメージを皆で深めたいと思った。学校の先生と生徒、様々な社会人によるイノベーティブ・スクール熟議。これも、やってみたいことの一つである。

  • 鈴木寛文部科学副大臣から、21世紀の世界で活躍する人材のビジョンは「クリエイティブ・コラボレーティブ・アート・ワーカー」だと伺った。我が国が、このような人材を輩出していくためには、中学段階での新しい教育が重要になるのだろう。
  • 日本の学習指導要領では、中学までは論理的思考しか対象としない。批判的思考や創造的思考は高校以降でよいという。ユヌスさんのいうもっとも脳が活発な時期を、論理的思考の学びにとどめてもよいのだろうか。
  • ムハマド・ユヌスさんは、世界各国で中学生に「ソーシャルビジネス」を語っている。中学生を対象とする理由は、13~15歳が人間の脳が一番活発だからという。このユヌスさんの話に従えば、日本の学習指導要領には一つの問題があるのかもしれない。
  • ☆こんな感じである。アイデアの書き込みと問題解決の糸口の問いかけ集である。解決は熟議のような対話の中からヒントが生まれてくる。つまりメンバーへの知的信頼がものすごい。

    ☆イノベーションとは、何もITというテクノロジーのことだけを言っているのではないことが、このtwitterの書き込みからすぐに了解できる。寛氏ではないが、クリエイティブなイノベーション、コラボにもイノベーション、そしてアートにもイノベーションがあるのだ。

    ☆小村氏のネットワークにつながることによって(もちろんリアルではなくサイバースペースにアクセスするところからだが)、自分自身にもイノベーションが生まれような気がする。

    ☆どのバージョン・レンジでも、それぞれのイノベーションが生まれるのであろう。

    ☆近代化の光と闇。闇の拡大占有率が増えてきたとき、近代のバージョンはアップせざるを得ない。それを進化と呼ぶかどうかはにわかには判断がつかないが、確かに変わるような予感はするではないか。

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