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21世紀型私学市場の模索[02]

21世紀型私学市場の模索のつづき。

☆前回こう書いた。

新しい知による知識基盤社会のグローバルな市場形成は、止まらない。そこをエンジンにできた企業や学校がサバイバルすることはおそらく間違いないだろう。なぜそんな戯言を語れるのか。私が出会う起業家、企業人、私学人の多くはそう思っているし、そんな話=熟議ばかりしているのが最近の情況だからだ。そういう企業人と起業家と20校前後の野心ある私学人が協力すれば、新たな市場は生まれ、やがて席巻するだろう。それが本格化するのが2012年なのである。

☆たとえば、どんな企業があるのか、起業家がいるのか、私学人がいるのか。相変わらず独断と偏見だが、いくつか例を挙げてみよう。

☆「SCH∞L」というフリーペーパー誌の編集長吉田玲唲氏とときどき熟議的対話をするわけだが、このフリーペーパーの市場は直接受験市場にはないのである。広告を視ると大手企業ばかり。配布される場所も塾ではない。

☆結局ある一定の富裕層がターゲットである。たしかにそこに私立学校を志望する家庭層があるわけだから、そこにマッチングする情報を発信すればよいのだろう。

☆だから、今さらそこでは偏差値という指標はまったくない。非常にクオリティの高い写真を使用し、偏差値や進学実績以上の教育の質を表現している。

☆これも表現のイノベーションであり、すでに18号めが発刊されているから、相当の数の私立学校が取り扱われている。ここに、ただ私立学校が顧客というだけでなく、なんらかの化学反応が起これば、受験市場とはかなり距離をおいた私学市場を応援する教育市場が生まれることは間違いない。

☆もちろん、偏差値や進学実績を取り扱わないからといって、それらを無化するフリーペーパーの編集になっているわけではない。むしろそれらを前提にしているわけだから、受験市場が衰退するのは困るのである。したがって、結果的にwin-winの関係をつくることになるのかもしれない。

☆しかし、化学反応とは予測不能なことが起こるものである。同雑誌の写真のクオリティは確かに高いが、コンテンポラリーアートが試みている枠組みとは全く違い、写実主義であるから、映像や画像のアートの枠組みでは、20世紀型である。

☆20世紀型というかぞれ以前のアートとコンテンポラリーアートの大きな違いは、前者はアヴェレージ・パーソンに理解しやすく、後者は理解しにくいという点である。中学受験生の保護者の中にはアヴェレージ・パーソン以上の文化的情操を持っている場合があるから、もしかしたら、30号ぐらいまでのところで、写真のアートに対する編集観が変わるかもしれない。コンテンポラリーアート以前の写真は、イメージを視る側に押し付けるから、わかりやすいが、イマジネーションの自由を奪う。

☆それゆえ、本来私立学校では、そこはクリティカルに見ながら、現実と合わせながら表現していくのである。そういう私立学校こそイノベーティブでクリエイティブな学校である。そのような私立学校が市場の覇権を握る時がくるやもしれない。ただ、現状受験市場がそのような言説をまったく意に介していない。素朴な認識論にとどまっているのも確かだ。

☆しかし、もしコンテンポラリーアートが、日本でも市場を形成できたとする。村上隆氏の作品はそれを挑発しているわけだから、そうなるとアニメやアキバも、いかにフロイトやマズローのリビドーや生理的欲求を昇華するかという自然な動きが生まれるから、おもしろいことになるだろう。

☆今は20世紀型教育スキルを維持するための知識や言説による素朴な認識論・思考力のために、20世紀型教育スキルが生み出す新しい知識や言説による関係主義的認識論・思考力がフィルターにひっかからない。見えども見えないのである。制度化されてもされ得ない人間の存在そのものに気づく認識論や思考力(これらの言説もすでに20世紀型の意味でたらえられてしまうが)を形成するイノベーションを開発する私立学校はどこか。2012年には探さなければならに情況になるだろう。

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