« 英語の公用語化は当然で、日本文化の学としての研究の方が重要 | トップページ | 世の関心 <「熟議」で日本の教育を変える> »

白梅清修 女子校ならではの数学観

☆昨夜、電車でばったり数学の先生方にお会いした。みな白梅学園清修の教師。久々にお話しするので、電車の中で、いきなり数学論議が始まった。

☆ナッシュ均衡やアローの不可能性原理、期待値などで、政権のマニフェストが似てくるのはなぜかを解き明かす話しだったり、民主主義のジレンマを認識したりするという話。なぜ人間は最終的に合理的判断を捨ててしまうのかというのも興味深かった。

☆もちろん予想される通り、電車内では、私たちの空間だけ異次元だった。簡単に言うと、浮いていたのではあるが。

☆しかし、次のような議論になって、なるほどと。つまり、生徒達が将来小論文を書くときに、文章の構成の論理も重要なのが、問題の視点というかアイデアが最も重要で、それを発見するときに数学的な発想やゲームの理論は役に立つというのだ。つまりメタ言語である。

☆別れ際には、量子力学と人間存在の関係について話題がとんだが、あまりに時間が短く、次回どこかでつづきをお聞きする機会があればと期待している。

☆先生方と別れた後、しみじみと、女子教育における数学のおもしろさの余韻を味わっていた。白梅学園清修の数学では、中1のときに、お気に入りの数学者について調べて、文化祭の時にプレゼンするプログラムがある。

☆中2のときには、気になるデータについて調べて、そのデータから未来を予測し、これまた文化祭のときにプレゼンするプログラムがある。

☆そして電車の中での対話。人間、未来社会、思考という3点セットが数学の授業の中にあるわけだ。おそらく、ここまで数学の授業で学ぶところはあるまい。というのも、このような学びの範囲は、直接大学受験に関係があるわけではないからだ。

☆男子校や共学校では、数学の入試問題の多角的解法については重視されているだろうが、幅広い数学的教養に関しては、数学が好きな生徒が自ら学んでいくというのに任されているに違いない。

☆白梅学園清修においても、理系志望の生徒はそうだろう。しかし、文系志望の生徒に対しては、数学という時間を大学受験勉強に費やす必要はあまりなく、それよりもむしろ、自分の成長を見つめたり、予見する能力を養ったり、小論文など思考力を要する問題をサポートするメタ言語を活用出来たりするほうが、実用的である。

☆これは、女子教育ならではの発想ではないか。数学的発想やゲームの理論や量子力学の発想をメタファーとして活用することは、なんとか私にもできるが、それはあくまで、文章を書くためのツールに過ぎない。ツールでは素材としての発想そのものをを生み出せない。

☆しかし、白梅清修の数学の先生方は、メタ言語として、アイデアや発想のデザインのためのルールとして活用できるように考案しているのではないか。ルールは発想そのものを生み出すシステムでもある。清修開設当初から、数学の先生方は教科連動型カリキュラムを提唱しているが、なるほどそれは表面的な学びの項目のモザイク型のつなぎではなく、メタ言語による内的連関を意味しているのではないかと直感した。

☆しかし、その内的連関は、暗黙知であるから、その質のすばらしさを見える化するのはなかなか難しい。結局わかる人にしかわからない・・・。あっ、それで、電子ボードの活用法について、いかなる創意工夫が必要なのか論じていたわけかぁ。

|

« 英語の公用語化は当然で、日本文化の学としての研究の方が重要 | トップページ | 世の関心 <「熟議」で日本の教育を変える> »

教育イノベーション」カテゴリの記事