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共立女子の並はずれた新しさ

☆共立女子という学校を捉えるのはなかなか難しい。個々の先生方と話していると、それぞれに優秀ではあるけれど、コミュニケーションが変則である。なにかものすごいこだわりがあって、それが他者とのコミュニケーションのときに壁にもリスペクトにもなる不可思議な思いが湧いてくる。

☆これがよく比較される他の女子校の場合だと、意外とすっきりしている。大学進学実績と人間形成と明快である。明快であるがゆえに、それだけでよいはずがないと議論をしたいが、そこから先はなかなか進まない。もちろん、私ごときと話したくはないということもあるだろう。

☆そこが共立女子と他の比較校との大きな違いである。前者は不可思議な思いが残る。後者は明快だが深みを感じない。しかし、どちらにしても、議論によって、明確な輪郭をつかむということには到らない。

☆ただ、共立女子の場合は、その不可思議で見えないものを直接見ることはできないが、質感として感じることができる表現を大量にしているのである。

☆1つは美術作品。もう1つは文章である。OECD・PISAの考え方でいけば、非連続型テキストと連続型テキストの両方を生徒が大量に創作する。そしてそれを冊子という形式で大量に発信するのである。

☆学習プログラム的な側面から見れば、いたるところに生徒のポートファリオがころがっており、在校生と教職員は、その表現を通して、共立女子の不可思議な見えざるもの、つまり暗黙知を感じ取り共有しているのである。

☆渡辺校長は、あらゆるものは物象化されるが、その背後の諸々の関係総体を認識し、あるいは感じとるものの見方や考え方を育成すれば、あらゆるものが息を吹き返すと語る。その物象化を解体する関係総体を見出す方法論は非連続型テキストと連続型テキストの違いと共通点を探究する対話以外にはないと。

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☆この物象化論は渡辺校長の思想であるが、実は最先端の思想と地平を共有している。それがゆえに、新しすぎて、受験市場は気づくことができない。

☆物象化されたものは、つねに固定した視角でしか切り取られない。多様なイメージを排除してしまう。しかし、物象化されたものを関係総体を把握する視点でみると、それは常にルビンのつぼで、地と図の連続的反転が起こっていると。

☆だから、写実は写実している以上のものが語られているから、それを見抜く視点を養いたいのだと。そのためには具体的にどうするか、実際に物象化の編集をするプログラムを実施するのである。

☆物象化は作成者自身は、様々なイメージを持ちながら、それをあるひとつのビジョンに集約していく。それが嫌だというのなら、シュールな制作物にすればよいのだが、結果は物象と相成る。問題はそのプロセスがいかに多様で多層で混沌としているかという体験である。

☆この体験がないのに、物象化された制作物を眺めてもその背景は見えないのである。だから、非連続型テキストを自ら編集するプログラムがある。そしてその非連続型テキストの背景の関係総体を解きほぐす編集が文章という連続型テキストの創作なのである。

☆校長室には、草間彌生さんの「心の裂」という絵画がある。物象化されたものに亀裂を刻むコンテンポラリーアートだ。共立女子は実はコンテンポラリーアートを非常に大事にしている。物象化を解体する行為だからである。

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☆共立女子がなぜ並はずれた新しさを持っているかというと、草間彌生さんに代表されるクール・ジャパノロジーの可能性を有しているからだ。

☆<クール>の意味は宮台真司氏や東浩紀氏にいわせると、物象化された社会的伝統的諸関係をいったん解離する構えなのである。関係総体を見破らなければ、組み換えによるクリエイティブな行為は生まれない。

☆経産省が目論む商品としてのクール・ジャパンという物象化されたものを解体し、常に新しいクール・ジャパノロジーを生み出す叡智が、共立女子の不易流行の教育であるかもしれない。

☆美術のカリキュラムに漫画表現があったり、高校の生徒会が、神保町と秋葉原を比較しカルチャラルスタディのレビューを冊子にしたりしているのも、その証しであろう。

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