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変わる教育の市場地図[03]

変わる教育の市場地図[02]のつづき。

☆前回結局は思考力がものをいうと語ったが、思考力というとすぐに論理的に考えるということだということになるが、それがそうでもない。

☆だいたい論理的コミュニケーションの状況が続けば、おもしろくないだろうし、そんな人間的な関係は窮屈であるのがすぐにわかる。

☆もちろんパラドクスも論理だと言われれば、それはかなりおもしろくなる。まあしかし、日本の教育では、たいていの論理のイメージは、因果関係の羅列である。

☆しかも科学的因果関係ではなく、説得のための「なぜなら~だから」という型で操作的に因果関係を構築していくから、抑圧感が増すばかり。だからこそ、クリティカルシンキングが重要になるのだろうが・・・。

☆筑駒の作文ワークショップなどでは、そこが違う。レトリックをちゃんと学ぶのだ。もちろんレトリックも論理だと麻布の教師は語るだろうが、そこまでの論理だと議論はめちゃくちゃ楽しくなる。

☆麻布出身の宮台真司氏のトークはレトリックがバチバチ効くから、文字通り受けとめると、わけがわからなくなる可能性があるし、誤解も生まれる。もちろん、宮台氏自身はその錯誤を織り込み済みで揺さぶっているのだが。

☆このようなレトリックも論理としてみなす意味で思考力というのなら、そのような思考力が必要になる。受験市場としてはサイズが小さいので、気づかないが、大学の帰国生入試は、この意味での思考力が必要である。

☆ただの因果関係の羅列の小論文では、なかなか合格しない。帰国生と小論文のトレーニングをするのは、書くという行為の前に、徹底的に議論するというトレーニングが必要である。自分の体験を通して生まれてくる問題意識がどのように社会の問題に結び付くのか議論するにはどうしてもレトリックが必要なのである。

☆私立大学の帰国生の入試は、すでに9月から実施され、帰国生の小論文プロジェクトにかかわりながら、どの程度まで思考するのが必要なのかすでに結果(早稲田とか上智とか合格しているメンバーの思考のプロセスの仮説の検証)がでている。

☆今、帰国生は国立大学に向けて準備しているのだが、少しゆとりもあるので、読書会が中心になっている。2002年ごろ出版された新書と今年出版された新書を読み比べ、その背景に政治的な政策の違いがあるのを見出して、パースペクティブの差異をまとめ、この転換の意味は何か、自分の体験に照らし合わせながら語り合うというのが中心になっている。もちろん、そのあと、800字前後で小論文を書くのだが。

☆受験は大学入試ばかりが始まっているわけではない。シンガポールや香港で、中学入試は始まっているし、めだたないが、私立小学校の入試もはじまっている。

☆私立小学校の入試でおもしろいのは、慶應幼稚舎以外は、すべて受からなかったという事態が結構あるということ。

☆なぜこういうことが起こるのかというと、試験の内容が慶應幼稚舎と他の小学校では全く違うからだ。

☆幼稚舎は、いわゆるペーパー試験はない。絵画工作と体育が試験内容なのだ。集中力と発想がポイント。知識は小学校で学ぶのだから、それ以前は、集中力と発想力の強さが重要ということだろう。

☆この情報が入ってくるのは、おもしろいことに幼児教室や小学校受験塾からではない。いわゆる絵画教室から入ってくる。絵画教室といっても、自由に描きなさいではなく、何を書きたいか話し合いながら描いていくところだし、漫画と絵画の違いを話し合いながら使い分けして描いていくところ。表現は文字ではなく絵だが、発想について話し合ったり、認識の違いを話し合いながらデザインしていく。

☆水彩絵の具だけではなくアクリルを使ったり、パステルや水彩色鉛筆などもつかっている。工作の素材も様々。要するに多様な素材や道具を使うことは、身体性の開発につながっている。ダイナミックに運動すことばかりが体育ではない。道具や素材の活用は自然とのコミュニケーションであるから、身体の反応は、それぞれの道具や素材によって変わる。この感覚を小学校に入る前から体験しておくことを、慶應幼稚舎は大切にしている。

☆この絵画教室は、口コミだけで満杯で、PRすることを控えているので、これ以上はご紹介できない。いずれにしても地域密着型で、材料費程度しか発生しないボランタリーな拠点。受験市場とは全く違う。コミュニティ・ソリューション型市場なのだろう。

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