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開成の生田先生に学べ[05]

開成の生田先生に学べ[04]のつづき。

☆レポートの1つ「学習指導案」について、生田先生の考えをたどってみたい。この学習指導案にこそ、「ゆさぶり」のある授業を創る大きなヒントがある。

☆「単元学習」が前提でるから、テーマに対する立体的な歴史的・共時的・地政学的関係構造を組み立てる必要がある。

☆まずは、教科書を読まないで、コンセプトマップをつくる。すると学生は思いついた知識を重ねるだけ。次に教科書を読んで、コンセプトマップを書く。今度は関係性がリンクという形で見えてくるというのである。

☆ここでは、情報の媒介ビフォー・アフターで、自分自身の思考の傾向の変化を体験するわけで、まずは自らを「ゆさぶり」の中に位置づけることになる。

☆大事なのはここから、

「教科書をどのように教えたらよいかと考えながら授業を創るのではなく、教科書以外の資料にもあたり、それらを十分に研究して、自分の判断で授業範囲(スコープ)や授業の順序(シークエンス)を考えるように」

☆ということだ。教科書を教えるのではなく、多角的な視点のある世界観を組み立てて、その組み立て方を共有できるように準備するということだろう。教科書はその視点の1つにすぎない。これもまた「ゆさぶり」の中での作業だ。

☆そして、なんといってもすばらしいのが、「指導上のねらい」と「学習上のねらい」、「教員の教育活動」と「生徒の学習活動」という学びの視点のコントラストを明確に組み立てることが学習指導案だとするところである。

☆しかもその関係性のプランニングを仮説的に立てて置かねばならない。教師と生徒の互いの言語活動がシナジー効果を生むような綿密なコミュニケーションが計算されているのだ。

☆もちろん、この仮説は模擬授業を通してさらに改善されるわけだから、「ゆさぶり」のある授業は、生徒の「ゆさぶり」の前に、学習指導案作成者自身が「ゆさぶり」を感じる企画をしなければ成就しないのである。

☆昨今、教育から学習へと、簡単に言われるようになったが、それは本当は、教育だけから教育と学習の破壊的創造へという涙ぐましいプロセスを経ることを意味する。教える行為から教えない行為にシフトすることではないのである。

☆コミュニケーションが大事だとも誰でもが言うが、知識の確認伝達のコミュニケーションのことを言っているのではあるまい。生田先生のように伝わるコミュニケーション、腑に落ちるコミュニケーション、アハでもピンとくるでも何でも表現はよいが、破壊的創造の連鎖が起こるコミュニケーションが授業の中でできるようにすることがなければ、不完全コミュニケーションということになるだろう。

☆不足部分を無理やり操作的に補おうとするから、権力的コミュニケーションが生まれ、授業の場が、「ゆさぶり」ではなく「ゆがみ」の場となるのだ。授業だけではなく、職場でも、家庭でも同じようなことは常に起こるリスクがある。そのリスクを回避する方法論が、生田先生の授業方法論であり、それゆえ授業を超えて思考やコミュニケーションの理論でもあるのだ。

☆ところで、「ゆがみ」という抑圧感が何を引き起こすか、昨今の凄惨な事件を引き合いに出すまでもないだろう。

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