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第4回友愛公共フォーラム 政財官の限界はいかにして超えられるのか

☆先月30日(土)、明治学院大学白金キャンパス2号館で、「第4回友愛公共ファーラム」が開催された。中国が日本との首脳会談をドタキャンしたその日に行われたので、おそらく講演予定者の1人であるアジア外交研究専門の天児慧教授は参加できなかったのであろう。東アジア共同体を友愛公共で構築できるかが話題の中心になっただけに、ちょっと緊張感あるフォーラムになったのではないか。

☆終日行われたのだが、第二部以降は、終始鈴木寛副大臣がフォーラムの討議を軌道修正する舵取りを陰に陽に行っていた。ともあれ、その第二部は、鳩山由紀夫前総理大臣と鈴木寛文部科学副大臣の対談からはじまった。

☆鳩山政権時代の友愛外交の振り返りであると同時に、民主党としてあるいは党を超えて普遍的な友愛精神の歴史的意義について語り合った。

☆ただ、参加者の中には、あまりに各国の首脳同士の対話による信頼構築の具体的体験談だけでは、政策ビジョンやその成果・実績が表現されていないということについて不満がもれていた。

☆しかし、友愛外交のビジョンが、実はその現場におけるコミュニケーションを中心とするコミュニティ・ソリューションをいかにガバメント・ソリューションやマーケット・ソリューションに良き影響を与えられるかということだったので、どの立ち位置で見ているかによって受けとめ方も様々になったのだろう。

☆その違いをいかに新たな合意に持ち込むかその変質過程こそ「熟議」の面目躍如なところがゆえに、鈴木寛副大臣は、メタ的にこれでよいのだと語っていた。

☆いずれにしても、キーワードは「友愛」「新しい公共」「熟議」「パブリック・ディプロマシー」などであった。

☆ただ、なんという逆説なのか、それらのキーワードを語っている学識者の言説そのものは、学尊民卑であり、とても民からの公共などあり得ないのではないないかという限界が目の前に広がったのは、なかなかおもしろかった。

☆講演者の一人であるジャーナリストの話は、もっとも現実的で、EUが決して民の公共から生まれたのではなく、全く逆であり、東アジア共同体を含める様々な共同体の成立も世論や民の公共では難しいのではないかと。

☆このビジョンは、学問的検証を根拠にするかジャーナリスティックな現場感覚なのかはいろいろあると思うが、20世紀型フィルターそのものであろう。

☆つまり、友愛公共の理念はわからないわけでもないが、現実は無理だろうという20世紀型フィルターがそこには頑固なまでにあった。

☆このフィルターを新しいものにしようというのだから、鳩山―鈴寛ビジョンとその活動は相当なパワーがいる。もちろん金も智慧も。

☆友愛公共の精神をもった人材をどのように育成できるのかという参加者からの質問に対しては、同じような精神をシェアしているシステムに、コミュティスクールの浸透があるし、地域から生まれる組織連合体としてJリーグがある。両方とも鈴寛副大臣がかかわった活動の成果であると。

☆友愛とは、鳩山一郎とクーデンホーフ・カレルギーとの親交から生まれたとというのは、鳩山前総理は語るわけだが、なぜか鳩山一郎のお母さんと妻が創設・運営にかかわった共立女子の教育については語らない。共立女子中高の校訓に「友愛」があるにもかかわらず。しかもこの校訓は、クーデンホーフ・カレルギーが共立女子で講演をしたあとに付け加えられといわれる。

☆長い間、共立女子では、「共立」を「きょうりつ」と読むだけではなく、「ともにたつ」→「ともだち」と読み替え続けている。すでに暗黙知として友愛教育が行われているので、学校当局自身も友愛教育を見える化してはいないが、訪れれば随所にその精神が浸透していることがわかる。

☆参加者の中には、東アジア共同体を超えて世界共同体に通じる考え方ではないだろうかというビジョンも発せられていた人もいたが、その種は未来にあるのではなく、いろいろなところにすでにある。ただし、そのケースとして私立学校がケースメソッドとして持ち出されない現状こそ、そこに実は限界がある。

☆現状のフィルターが20世紀型であり、その枠は≪官学の系譜≫なのである。それを官主導から政治主導で解体しようということなのだが、それには≪私学の系譜≫を研究対象にする必要がある。それをやらない限り≪官学の系譜≫というパラダイム・枠組みの中での友愛公共精神の模索ということになるだろう。

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