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ゆさぶる活動とはどういうことか?

☆生田先生の授業デザインの方法を学びながら、「揺さぶる」授業というのはどういうものなのか、いやそもそも「揺さぶる」活動とはいかなるものなのかもやっとしていたら、そんなとき、イギリスのアート視察から帰ってきた妻が、ファイン・アートについておもしろい話をした。

☆ロンドンというのは、なるほど近代発祥の地かもしれないと思わせる何かがデザインされているというのだ。クラッシックも、ロックも、ターナーも、テートモダンの発電所跡を活用した美術館も、その前にそびえるセント・ポール寺院も、地下鉄も、iPadも、同時代的なのだと。

☆古いとか新しいとかいう言葉では表せないのだと。

☆すべての活動が、ある1つの大きな何かなのだという。

☆ビートルズの音楽とファインアートは結びついている。日本だとロックでもポップでもなんでもよいが、音楽とファインアートは結びつかない・・・。別のものなのである。もちろんコラボはするだろうが、1つではない。

☆イギリスでは、あらゆるものが、近代を批判するパースペクティブの中にあるのかもしれない。別の角度から見れば、呪縛されているのかもしれない。

☆だから、常に「揺さぶる」活動があらゆる局面で必要なのかもしれない。

☆ハンナ・アレントは「過去と未来の間」の中で、結局プラトンの洞窟の比喩から抜けられないというようなことを言っていたと思うが、このパースペクティブを日本人は共有できるのだろうか・・・。

☆このパースペクティブなしに日本人は近代化を構築した。だからかもしれないが、最速でエージング問題に直面した近代国家でもある。

☆ファイン・アートは、ビートルズの音楽をプロデュースしたリチャード・ハミルトンではないが、一過性や大量消費、大量生産・・・を象徴している。ベンヤミンのまさに複製技術そのものである。

☆しかし、それを謳歌してしまうのは、日本のメディアや商業デザインであるが、ファイン・アートは、それを洞窟の影絵として映し出しているのであって、謳歌しようという戦略をうちだしているわけではないのである。

☆「揺さぶる活動」とは、まさにこの影を演出することなのかもしれない。影を映し出している光を直接見ることはできないというパースペクティブに気づくことができるかという挑戦を投げかけることなのかもしれない。

☆あるいは、この呪縛から逃れらるかという。

☆では、そもそも生まれるやその洞窟の比喩が文化としてあるわけではなく、その比喩に呪縛されていない日本人は、別の「揺さぶられ方」が必要なのか?

☆ハミルトンと同時代のアーティストであるアンリ・ウォーホルの作品をグーグルで検索したら次のような画像の塊がでてくるが、価値相対主義そのものを真理だと思っている日本人は、これをどのように解釈するのだろうか?≪私学の系譜≫は、もともと洞窟の比喩の中にいるが、90%の日本人は≪官学の系譜≫の中で生活している。

Warhol

☆日本人はファイン・アートをいかに感じるか、ジャニーズとAKB48と変わらない感覚なのではないだろうか。洞窟の比喩から逃れたい外国人は、だからクール・ジャパンを新鮮だと思うのかもしれない。もちろん、意識した結果ではないだろうが・・・。

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