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2012年は希望学から死生学へ

☆私学の先生方と話をしていて、ウムと腹を据えて取り組まねばならないのは、希望学ではなくて死生学ということだ。

☆人間を生かさず殺さず恐怖と脅威で威嚇しておきながら、片方で希望を志向することを推奨するような生‐権力の操作的生産的学びから、タブーである死をどのように受け入れるか存在の不安と気遣いの関係に迫る学びへシフトするというのだ。

☆もはやGDP成長戦略のために希望をインセンティブにして進むわけにもいかなくなった政策知と専門知の転向の兆しなのかもしれない。

☆そして言うまでもなく、カトリック教会も自死として受け入れざるをえなくなった自殺問題の増加、少子高齢化社会の問題、臓器移植や安楽死、がん告知などの医療倫理の問題、死刑廃止論、ポストモダニズムの衰退から生まれる新興宗教の問題など、死をめぐる問題は時代が要請しているともいえる。

☆死へ向かう存在が生きるとは何かを問い返すことはたしかに重要である。死への道はタブーでも頽落でもない。しかし、希望の道でもない。かつて権力は死を操作したり、生を操作しながら、支配してきた。規律統治型あるいは環境統治型であったとよくいわれる。

☆しかし、その両方から脱することをしばらく忘却していたのも、これまでの近代社会の特長であった。その閉塞状況が、そこから目をそむけることなくなんとかしようという知を生みだしたということか。しかし、時代が生みだすのは知ばかりではない。雰囲気とか気分・・・。

☆ちょうど1世紀前、弁証法に背を向けて新たな哲学が世界を席巻した。ハイデガーである。再びハイデガーの雰囲気が現れるのか・・・。

☆この時代の雰囲気は何を意味しているのか。希望学から死生学へではなく、希望学は死生学からというカップリングが重要なのではなかろうか。

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