動き出した教育の情報化のベンヤミン問題
☆日経BP社系のサイトITProの連載記事「動き出した教育の情報化」を児浦氏に紹介してもらった。フューチャースクール廃止の今後の話やデジタル教科書導入のスケジュールとか21世紀型教育スキルの進捗状況の輪郭がわかる。そういう意味でおもしろい。
☆目次は
・フューチャースクール廃止で文科省にも影響、教育の情報化に向けた政策の現状
・2015年のデジタル教科書全面導入を目指すDiTT
・「1人1台には理由がある」、インテルのクラスメイトPC
・学生向けに安心して使えるPCをパッケージ提供
☆となっている。このサイトを読んだ上で、12月1日のロイターの記事をどう読むかは実におもしろい。
米グーグルがクーポンサイト運営のグルーポン買収に向け合意に近づいていると伝えた。実現すれば、グーグルとして過去最大規模の買収になる可能性があるという。
☆新聞記事的には、グーグル帝国の独占化寡占化の異議申し立てがアピールされているから、グーグルの株価が下がったとか、物別れになるのではないかという懸念が議論されている。
☆ケインズ的には、このアナログ的な話は、テクニカルな話ということになる。そして、テクニカルな話の背景にはファンダメンタルな話があるのだが、新聞記事はそこは論述しないのが定例。文科省の副大臣鈴木寛氏は、だからメディアはステレオタイプなのだとおっしゃるだろうが、大衆社会において市場はテクニカルなのだから、ハーバーマスやアレント、サイードが論じている知識人的エリートがたくさんいるような社会にならない限り、ステレオタイプはそのままだろう。
☆そんなわけで、クリティカルシンキングなんていう考え方が、21世紀型教育スキルでも取り入れらている。大いに結構だが、新聞記事のようにグーグル帝国反対!なんてテクニカルな領域での批判は、本当にクリティカルシンキングだろうか。
☆等価交換という上部構造の市場システムではそれはそれでよいが、簡単に言えば、配分が不公平で、グーグルさんずるいよー!って言ってるだけだから、クリティカルシンキングとはそんなものだったのだろうか・・・。
☆帰国生(すでに私立大学の帰国生入試は終えていて、国立大学に向けて小論文のワークショップをともにやっている数人の生徒)と「グーグルとグルーポンの交渉が物別れになったとしても、この動きそのものは、何かが大きく変わる兆しである可能性がある。どんな転換が予想されるかな」という問いで議論をした。
☆ディズニーやエバンゲリオンなどのキャラクターグッズ戦略と比較をして、検索エンジンとデータベースによる消費嗜好の活性化と同時に危うさの拡大。DB≠事実の危うさ。でも事実は結局事実ではないのではないのかとか・・・。
☆ベンヤミンのアウラ喪失問題とポストモダンの物語喪失は必ずしも一致しないことについて、侃々諤々・・・。
☆結局は、アウラが喪失することが、一握りの知識人や富裕層が独占している芸術観を崩すことになるのだから、それはそれでよいのではないか、この芸術観を商品と置き換えれば、グーグル帝国などではなく・・・。
☆コントロールとフラットの葛藤というステレオタイプな議論に収束してきたので、コントロールとかフラットとか、その基本的な意味を問い返しはじめた。結局は自己決定の基準とは何か?そこにサンデル教授の正義論をぶち込んで話は加速し始めた。
☆ファンダメンタルな領域では、古典が生きる。しかし、問題はこれらのテキストをいつも持ち歩いてはいないということだ。
☆サンデル教授の正義論は、一枚の紙に座標系でまとめてあるから、それを開いては、それぞれの思想のポジショニングを確認できるようになっているが、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」、竹内教授の「法と正義の経済学」、アレントの「人間の条件」、ジャック・アタリの「金融危機後の世界」、神野教授の「分かち合いの経済学」などなど、小論文を作成する前提として読んできた本のDBがあるわけではないから、議論の場で参照することができない。
☆頭の中に入れておいた記憶で語り合うしかない。それぞれの生徒のオリジナルでよいではないかと言われるが、思考とは他者の智慧との協働作業なのである。そこからオリジナルは生まれてくる。したがって、光り輝く太陽のもとで、風を感じ、草木の息吹を感じながら、議論しようとしても、ひもとく本がないから、なかなか難しい。
☆本もまた辞書なのである。だからインデックスや検索が重要なのだ。もしも、これらの本がすべてiPhoneやiPadなどの端末で閲覧できたらと、いつも思う。漱石の文化論や個人主義論は、青空文庫で閲覧できるから、iPhoneを持っている生徒は閲覧できる。著作権切れの本ではなく、もっとそのような環境ができればよいのに・・・。デジタル教材の広がりに期待したい。
☆フランスからの帰国生は、フランス語の方が得意だから、アタリの本は原語で読む。アメリカやかつての英国連邦圏からの帰国生は、英語訳で読む。私は日本語訳で読む。アマゾンを使えばこの環境は、一週間以内で整うが、それでは、議論したいときにひもとけない。
☆DBが編集する世界の危うさを論じるより、事実はすでに昔からDBによって編集されてきたと考えた方がよさそうだという結論になった(なんと共同幻想論的なのだろう。彼らは吉本隆明など知らない。ついこの間まで1989年がベルリンの壁崩壊の年だったということも知らなかった!誕生していなかったのだから)が、そのとき編集者の正義の基準が問われる。
☆編集者がマス全体であれば、そこでの基準のチェックができる。J.S.ミルではないが、どんなに立派なアイデアも、みんなでディスカッションしなければ独善的なのである。検索エンジンは、このディスカッションの機会を国家レベルや市民社会レベルをぶち破って1人ひとりのマスレベルに広める。
☆「複製技術時代」の黄金期がやってくるのか・・・。
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