グッドスクールとは?
☆偏差値40前後の私立学校で、グッドスクールはある。高偏差値の学校でグッドスクールでないところもある。
☆しかし、このことは受け入れられない場合が多いようだ。中学受験において偏差値が高いか低いかと学校の教育の質は関係がない。この点を受け入れられないのは理由がある。
☆私学といえども高校受験もあるところがある。すると私立中学と私立高校の受験の違いが見えなくなるのだ。
☆それから、本来大学の偏差値も大学の研究の質に関係がないはずだが、大学の偏差値と就職率がつながってしまうので、研究は度外視され、偏差値で大学を語ることが当たり前になる。
☆私立中学の学校数は、全国国公立私立の中学の中で約7%シェア。私立高校の学校数は約30%である。
☆しかも、中学受験という選抜と高校受験という選抜はまったく異なる。したがって、偏差値の背景も異なる。このことについて、マスコミはきちんと語らなければならないし、大学の教育学部も研究を真摯にすべきである。
☆特に中等教育段階の教育は、思春期という人材開発の最も重要な時期のはず。その時期に、異なるタイプの教育システムが存在することについて研究がなされていないというのは不思議である。
☆小学校から中学にシフトするときに、条件が異なるシステムがある以上、その違いが日本の人材育成に与える影響は多様になるはずである。その事実を分析したうえで、教育政策なり、専門的な研究なりが行われなければならない。それが公平性を標榜する政策知であり、科学を標榜する専門知であろう。
☆それを踏まえ、大量消費・大量生産・大量移動の時代の大衆から成熟した新たな資本主義かつ民主主義の国の一員である新たな公共人(New Public )へシフトする必要がある。この新たな公共人の公共知が養われる場が、今のところ私立中高一貫校にある可能性がある。
☆私立中高一貫校という公共知側からアピールする必要もあるが、政策知と専門知側も分析および研究をする必要がある。
☆高校受験の選抜とは基本は配分である。学校教育法の文言に明記されているように、創造性育成は、本格的には高校からであるから、知識と論理の集積の多寡で配分される。いわゆる高校入試は習熟度別学校の振り分けである。試験を受けるけれど、ほとんどが試験を受ける前に、配分は終わり、だいたいその通りになるのである。
☆私立高校も多くはその延長にあるから、私立学校といえども、結局は配分のシステムに乗らないわけにはいかない。
☆この延長上にある選抜試験が、大学入試のうち一般試験=一発ペーパー試験である。高校段階で創造力を育成すると言っても、実は2007年に学校教育法が改正され、初めて明言されたから、実は育成プログラムが開発・実施されていない。だから、結局高校受験の延長なのである。
☆ただ、ルサンチマンの国民性あるいは大衆の特性ゆえ、AO入試や帰国生入試、IB入試は評判が悪いけれども、そこから創造性のある人材が獲得されている。たしかに、このエリアから生まれてくる人材は、扱いにくい尖がった人材が多いが、それだけに期待ができる人材も多く輩出されていることは、企業がすでに気づいている。
☆なにゆえにルサンチマンか。それはこのタイプの入試を受ける生徒の家庭の文化資本が高いからだ。文化資本×選抜システム=人的資源という方程式はすでに誰でもが知っているが、それがゆえに、文化資本が平等でない制度は忌み嫌われる。
☆問題はしかし、文化資本の捉え方だ。文化資本=金という図式になってしまっている。しかし、もともとは、土くれに付加価値を見出す創造的能力が文化資本なのである。遊び資本と言ってもよいかもしれない。
☆この意味での文化資本が機能しないように、選抜機能が働いているのが、高校入試や大学入試の一般試験である。そして、大学入試のAOタイプや帰国生タイプの選抜機能、そして中学入試は、文化資本を吸い上げることができるのである。
☆ただし、中学入試は、選抜システムそのものではなく、7%という限られた集団という意味で、すでに文化資本がベースになっているのであり、その中での選抜試験になってきたケースがほとんどである。
☆だから、選抜試験を高校入試や大学の一般入試のような選抜システムにして、私立学校への道を開き、そこに集まってきた高文化資本の好影響を広く受けられるようにしたのが、中学受験の大衆化という出来事であったのである。
☆ところが、その道を開いた大手進学塾のオーナーが、金持ちだが文化資本度は低い人物が覇権を握っていたために、中学受験の大衆化は、私立中学の文化資本度を低くするベクトルに働いてしまった。それが偏差値至上主義である。
☆高偏差値の私立中学の中には、文化資本度を高める教育を捨て、大衆化に迎合しているところもある。ただ、圧倒的に入学者の家庭の文化資本が高いためにマイナス面が見えていない。
☆公立学校の場合は、学校の文化資本というのはそれほど高くならないように設定されているが、私立学校の場合はそうではない。建学の精神そのものが高文化資本である。ただ、その精神を形骸化させているところもある。
☆だから、先の方程式は、家庭の文化資本×学校の文化資本×選抜システム=人的資源となるのが、私立中学の受験である。
☆すると、12歳の段階で偏差値が低くても(高校卒業時に偏差値が飛躍している例はたくさんあるではないか)、家庭の文化資本と学校の文化資本が高ければ、卒業時には豊かな人材として育つことが可能なのである。
☆グッドスクールとは選抜時の偏差値ではなく、学校そのものの文化資本が高いところを指すのである。
☆ポストモダンを経て、大きな物語や本質的な価値を尊重する風潮はなくなったと言われている。だから、中学受験も例外ではない。
☆家庭の文化資本がそれほど高くなくても、高文化資本を持っていて、高偏差値の学校に入れば、豊かな人材として育つのであるから、中学受験の大衆化はそれなりに≪私学の系譜≫の面目躍如なところであったわけだが、家庭の文化資本がそれほど高くなく、金か勝ち組かにしか興味と関心がない大衆が過半数を超えて入学し始めると、いかに高文化資本を有していた学校でも、悪貨は良貨を駆逐する原則に従うことになる。
☆残るのは輝かしき大学進学実績のみである。それはそれで自由であるが、世界同時的にデフレであり、儲からない資本主義の時代が到来していると言われる時代にあって、GDP成長主義の考え方が今後成り立つのだろうか。
☆そんな中で、選抜システムに文化資本も測れるテストを導入しはじめた学校もある。たとえば、海城学園である。文化資本を括弧に入れざるを得なかった高校の選抜システムを廃止し、中学受験一本にした。
☆そして、帰国生30人を募集するという、高文化資本を取り入れる選抜システムに切り替えた。もともと一般入試も記述式・論述式が多く、高文化資本の資源を重視する中学入試を行ってきたのが海城学園なのである。
☆ただ、大衆がその高文化資本に気づかずに、入ってしまう学校でもあったため、入口の部分では大学進学実績の良い学校としての評価が前面にでていたことも否めない。
☆しかし、高校入試を廃止したという出来事は、6年間で大衆を新公共人として豊かな人材に育てることを明確に意識して、ポストモダニズムに対峙しようという≪私学の系譜≫ならではの戦略にうってでたわけである。
☆しばらくは、大衆資本×学校の高文化資本×創造的能力選抜システムという図式を展開していくのであろう。この図式は開成や駒場東邦、筑駒にもあてはまるが、新公共人が輩出されるかどうかは、各学校の理念に大きく左右される。
☆桜蔭は、家庭の高文化資本×学校の中立文化資本×創造的能力選抜システムという図式であろう。どんな人材が生まれるかは、学校の理念に大きく動かされていると思う。
☆女子学院、雙葉は、家庭の高文化資本×学校の高文化資本×中立選抜システムという図式。どんな人材が生まれるかは、やはり学校の理念に影響を受け、JGはプロテスタンティズムの影響を避けられないで独立した女性が大活躍することになるし、雙葉は強烈なカトリック精神を避けられず独特の活躍をする女性が輩出される。
☆武蔵と麻布は、家庭の高文化資本×学校の高文化資本×創造的能力選抜システムという図式になる。
☆かくしてグッドスクールとは、学校の高文化資本×創造的能力選抜システムの構造を構築しているところである。
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