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2011年度の中学入試のゆくえ③ 私学人の気概

2011年度の中学入試のゆくえ② 情報革命のつづき。

☆吉田松陰がかつて草莽崛起たる人に頼るしかないと言い遺し、福沢諭吉は一身独立して一国独立すると言ったわけだが、明治維新以降、ここまで日本は国が個人をコントロールしてきた。もちろん、戦前のような規律統治型ではなく、戦後は環境統治型であると言われるごとくであるが。

☆ともあれ、戦後私学人の立ち位置は、このような官の発想を打ち破る人材を輩出する教育拠点作りに奮闘努力してきた。

☆その歩みは単純な正義の味方というわけではもちろんない。撤退、譲歩、妥協の道もあっただろう。しかし、同時に普遍的で具体的な理念に基づいて、様々な教育活動を創造し、多様で、その意味で個性的で、先進的かつイノベーティブな学校を創ってきたのである。

☆しかし、中学受験が大衆化することにより、理念を吹き飛ばす経済合理主義を阻止できなくなってきた。私立学校も孤島に拠点をおいているわけではない。常に世界と社会と共に在るわけである。

☆常にそのようなトレンドを背景にした同時代人と対話をしながら、国にコントロールされるのではなく、一身独立して一国独立するという草莽崛起な気概を共有することを条件とする選抜システムを構築してきた。

☆しかし、偏差値という理念を無化しかねない選抜装置が、ある意味暴走し始めている。中高一貫校を選択するというのは、中等教育時代に思春期をどのように豊かに過ごし、人間としての基礎=草莽崛起の気概を形成するかということであるのに、偏差値の低い私立にいくなら、公立中学に行って高校でリベンジすればよいという風潮は、ただ難しい大学に行く効率のよいステップはないかという発想である。

☆社会がどうなろうと関係ない、いまここで自分の利益を得るにはどうしたらよいかというノウハウを教えることに結果的になってしまう。悪貨は良貨を駆逐するという法則が機能し始めている時代である。

☆ポストモダニズムだとかリバタリアニズムの名のもとに、大きな物語を喪失させ、目先の興味と利益にむかって経済行動をとる価値判断をコントロールする保守主義的な価値観が強固になっているのが今の日本だろう。

☆だから、チュニジアやエジプトのような革命は日本ではセイブされているのである。心の座標軸革命しかない。それができるのは草莽崛起な気概で語る私学人においてほかにいない。

☆情報革命のうち容器についてはどんどんイノベーションが創出されているが、問題はその容器に込める内容である。思想なきイノベーションは、価値の多様性を粉砕し、個性を砕き、協働を破壊し、同調という抑圧体構築に向かうのは、歴史から学んでいるはずである。

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