« かえつ有明の招集日 | トップページ | 2011年度の中学入試のゆくえ② 情報革命 »

2011年度の中学入試のゆくえ① 草莽崛起たる私学人

☆各私立中高一貫校は中学入試直後の新入生招集も終え、卒業生の大学という進路に向けて指導を集中させている。同時に来年の中学入試をどのように迎えるか議論の真っ最中でもあろう。

①ビジョンの再検討

②どこをバージョンアップすべきか

③新機軸は何か

☆ビジョンを再検討する際には、まず中学受験市場にどのくらい受験生がいるかは気にかかる。本当に5万4千人いるのだろうか。ざっくり計算してみよう。日能研が公開している首都圏の受験生の総定員48,000人のうち3,000人は、寮制学校などの東京受験の定員だから、実際には45,000人が総定員。そのうち3,000人は国公立中学や中高一貫校。

☆私立学校の中では定員割れの学校があるが、それを考えると、私学受験生は、42,000人いるかどうかではないだろうか。

☆もっと少ないかといわれるかもしれないが、それは、いずれそうなるかもしれないが(そうしないためにどうするかが重要)まだないと思う。というのも定員割れを起こす学校が出現するのは、総定員数を割っているからというよりは、集まっている学校の歩留まり率が高くて、10人前後は定員より多く生徒を獲得してしまっているケースが多いからだ。

☆そして、何よりもある意味、今年の入試は風評被害があったのである。それは偏差値45に達しない私学に行くのならば、公立学校に行くというまことしやかな評判を塾やメディアが発信していたからである。

☆この評判の背景には、高校無償化問題がある。教育行政の政策は、中等教育段階の6年間を無償で乗り切る最も効率のよい方法はないかという幻想をつくったのである。

☆その背景には、首都圏における個人所得の減少が、私学受験クラスの家庭にも及んでいる可能性が大だからである。

☆また受験市場の再編がある。大学予備校と中学受験塾が合体することにより、中等教育の豊かな成長過程よりも、難関大学へのリベンジ機会を煽る傾向が強化されているのだ。

☆このような背景の広がりや複合要因が、偏差値の低い私学に行くなら公立に行こうという幻想をつくってしまった。98年・99年の私学危機は、経済的打撃よりも、経済的不安で大きく揺れ動いたが、私学の教育改革がそれを払しょくできた。

☆しかし、ベストセラー「デフレの正体」の著者藻谷浩介氏(受験市場・私学市場の関係諸兄必読書)によると、個人所得は私学危機のときから右肩下がりなのである。それゆえ、経済的不安ではなく経済的打撃に、私学受験クラスの家庭も直面しているのであろう。

☆したがって、私学受験生は実際には5万4千にもいないのである。受験市場も大量消費・大量生産・大量移動のポストモダンな経済、GDP競争の経済と別次元にあるわけではない。土建国家的でGDPの量を増やそうという経済政策・企業戦略と同じなのである。

☆しかし、GDPにおいて中国に抜かれた今日、日本の経済ビジョンはやっと転換期を迎えるときがきた。個人が自らの情報リテラシーを鍛え、選択を判断できる自律基準を持たねばならない。

☆自らの生活空間を自らデザインする。その集積が都市デザインにつながり、その集積が国家を形成するという社会が求められている。地域政党の動きやコミュニティソリューションの動きやソーシアルビジネスの動きなど、すでに動き始めている。

☆ではどうやって自律した選択基準を形成できるのか。だからサンデル教授なのであろう。少なくとも私学ではなくて公立へという画一的なベクトルができる状況は、自律準拠ではなく他律準拠である。

☆受験市場の情報リテラシーのみを頼りにするのも他律準拠である。自ら公立を選んだり、私立を選んだりするのが自律準拠である。

☆しかし、この自律準拠型のコミュニケーションはいかにして可能なのか。自律準拠型の人生は、自己の道を歩み自我の道を超える生き様なのであるが、その能力を多くの市民が身につけるには、どうしたらよいのか。

☆制度上公立学校では無理なのである。教師1人ひとりの良心、親の良心、友人の良心以外に突破する術はないのである。

☆制度に縛られていない塾もその可能性はあるが、大手塾や予備校は、企業戦略のためにそれを諦めなければならない。もちろん、個人塾はその良心の灯を燃やし続けられるだろう。しかし、その持続可能性は難しい。

☆そうすると私立学校の教育に期待をする以外にないのではないだろうか。もちろん、私立学校の中にはGDP競争と同じ価値観を有しているところもあるだろう。あるいは、そういう教師もいるだろう。

☆しかし、公立に比べそれは少ない。学内で喧々諤々になる。それゆえ、そういう私立学校は一時的に内紛状態やケイオスになり、生徒獲得戦略が貫徹できず、応募者が減るのである。しかし、そこをまとめきったとき復活するというのは多くのケースが実証している。

☆それゆえ、2011年の中学入試において、私立学校の戦略は理念を掲げるも、それを布教しようと塾やマスメディア、受験生・保護者の情報リテラシーをチェンジするような情報リテラシーを発揮するしかないのである。

☆もちろん、抜け駆け的に、理念は掲げるも、従来の情報リテラシーにおもねるようなコミュニケーションをとる学校も出現するだろう。しかし、少子高齢化の構造が中学受験市場にもあてはまるようになった今日、草莽崛起(そうもうくっき)たる私学人の気概を発するほかに誠の道はないであろう。

Photo

|

« かえつ有明の招集日 | トップページ | 2011年度の中学入試のゆくえ② 情報革命 »

教育と市場」カテゴリの記事