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2011年度の中学入試のゆくえ④ 私学人の対話

2011年度の中学入試のゆくえ③ 私学人の気概のつづき。

☆草莽崛起な気概をもった私学人が、社会と対話している姿を観察すると、つぎのようなステージと深層構造を内包しているコミュニケーションを行っている。

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☆そして、決まって相手の志向性を見破り、相手のステージにまずは合わせるのである。ここまでは、ビジネスの営業トークと似ているが、似て非なるものである。営業トークは、相手の弱みにスーとはいって、そこをゆさぶり心地よくして、商品購入意欲を作りだせばよいのであって、そこに理念もコンセプトもいらない。売れれば良いのである。

☆しかし、私学人はそうはいかない。まずは対話のステージを共有しないと、話が始まらないから、ステージを瞬時に合わせはする。同じ土俵にのるのである。しかし、そこからがすごい。相手とともに共鳴共振し、時代の要請を確認し、その要請に応える活動の理念を共有するのである。

☆これは、ある意味宗教家の言説である。だから、大事なことは、その理念の歴史的(通時的)正当性、時代的(共時的)信頼性に対するクリティカルシンキングが必要である。どうやって?それは不十分ではあるが、テレビや新聞で、ジャーナリストが今の政治・経済を批判している視点やトークが役に立つ。教育も政治も医療も、社会的利益と社会的正義の配分にかかわる領域であるから、いずれも宗教家的素養が必要になるのだろう。

☆さて、1998年・99年という私学危機のとき、このような図について話すと、まだ受験市場は勢いがあったから、もののみごとに否定された。よく学校は理念も宗教も捨てろ!名称も変えろ!・・・と。その路線にのって共学校になった私立学校もある。もちろん、そんな他律的判断ではなく、時代の要請と時代の精神を読み切って、自らビジョンを見定め、共学校になった私立学校もある。そういう共学校の生徒獲得戦略は成功し続けている。

☆それはさておき、このようなステージや深層構造が、たしかに過去10数年、ポストモダンニズムやフラットな関係トレンドの影響で、市場においては時代錯誤として一笑に付されてきたのだと思う。

☆マックス・ウェーバーではないが、カトリックの深層構造的な世界観に挑み、神と信仰のフラット化を説いたプロテスタンティズムの関係にも似ている。どちらが良いかは問題ではない。しかし、これを神学論争として一笑に付すか、というか簡単に言えば、能書きはいらないと吐き捨てるかは、アンチ時代の要請であり、これもまた1つの価値観しか認めないよという態度であることに変わりはない。

☆だから、私学人は対話をし続ける道しかないのであろう。そして、サンデル教授の授業が話題になったように、私立学校のコミュニケーションを時代が要請しているのは今なのだろう。

☆このコミュニケーションを、理事長・校長からはじまって、多くの教職員も可能にしている学校がある。そこには当然、生徒は集まっている。(Aタイプ)

☆理事長・校長は実践しているが、教職員が若い場合、各ステージの役割演戯を徹底しているところもある。そこも集まっている。(Bタイプ)

☆理事長・校長は、理念から現場のロールプレイまで弁証法的に話せない場合、つまり理念のステージのみの対話しかできない場合、そのサポートに教頭・副校長がいる学校がある。そして多くの教職員が同様にサポートしているところもある。そこも生徒は集まっている。(Cタイプ)

☆理事長・校長以下教職員全員が、理念のステージでしか対話ができず、それゆえ広報活動が現場対応に追われているところは生徒が集まっていない。(Dタイプ)

☆実際には、CタイプとDタイプの間で、様々な現実態になっている(理事長・校長が理念のステージだけ話し、中間経営陣は理念からロールプレイのステージまで弁証法的に話せるわけだが、教職員はサポートできないで、ただ経営陣をわけのわからないことを言ってと非難している組織態が典型的なこの間のタイプ)わけだが、このタイプのコミュニケーションを行っている私立学校では、実質的には≪私学の系譜≫は背景に退き、塾の情報リテラシーやマスメディアの情報リテラシーに右顧左眄、右往左往している。その姿を見た受験生や保護者が、経済合理主義的価値観の持ち主だったら、その学校を選ぶことはないだろう。

☆経済合理主義者が望むのは組織の安定・平和である。安定と平和がないと、学内の心理的エネルギーが進路指導に集中されないと判断する。不安定な組織が長きに続くと判断した場合、たとえ、今大学進学実績がよくても、自分の子どもが卒業する6年後は右肩下がりになっていると判断するからだ。特に父親はそうだろう。

☆だから、経済合理主義者は、偏差値が低くてもAタイプの学校であると選択する可能性大である。経済合理主義者のパラドクスは、投資という賭けに出るチャレンジ精神があるということなのである。

☆偏差値が低いことに不満をいう学校はDタイプに多い。Aタイプは、困った話だといいつつ、いかに偏差値を上げるかも戦略的にプランニングする。そのうえで、脱偏差値を語るのである。

☆保護者はそれを見破ることができるのか?学校説明会に行けば、直感的にわかる場合が多い。5校ぐらい回って終わるケースが多いだろうが、その参加の仕方は、すでに1つの価値観で選ばれているから、新しい発見が少ない。自分の想定にない幾つかの学校に参加してみる必要がある。それもまた新たな出会いなのであるから。

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