田辺元に耳を傾ける{01}
☆戦争を体験したことがないから、証明することはできないが、今回の東北関東大震災による物理的精神的大悲は太平洋戦争による大悲に重なるのではないか。
☆だから、戦後の復興への道を探った知的精神的成果を頼りにすることも、復興活動への1つの方法だろう。そして、当時の復興の道ゆきで、当初想定していた理想をいかに忘却してしまったかを再確認することで、復興の誠の道を歩むことができるはずである。
☆その意味で、田辺元の「懺悔道としての哲学」もまた、頼りにできる復興への思索の成果であると思う。
☆近代の歴史は、理性の批判の方法とその実践の歴史であった。しかし、この歴史は、科学と宗教と哲学と倫理を解体する歴史でもあり、ポストモダニズム的な経済社会の行きすぎを食い止めることができないできた。
☆それは理性への批判が妥協的あるいは方便的だったからであり、実は理性の過信を明確にすることはできなかった。それが理性の隠蔽的構えを増長させ、エネルギー資源の奪取、それによる生産と消費の増長を加速させ、行きついた先が原発であった。
☆この理性に背を向け、括弧にいれた理性批判による弊害を、日本は、原爆によって被爆した太平洋戦争によってすでに体験していたのである。そして、この体験を、無力感と諦念で受けとめることで終わらせることなく、大悲の歓喜報謝と転換する道が、田辺元の語る「懺悔道」である。
☆何よりも大事なこと、そして最優先課題は、犠牲になった方々の供養であり、被災された方々の生活の復興であり、原発事故の解決である。しかし、片方で、この復興活動の横で、精神的な痛みを被っている多くの方々が示している根源的な問題を共有して解決する道も歩みださねばならないことも否定できないだろう。
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