2011首都圏私学東大合格者数ランキングの無意味の意味
☆メディアでは、公立中高一貫校白鴎が初めての卒業生の段階で、いきなり5名合格したとか、経済不況のせいで、地方の高校生が東大を受験できない傾向にあるとか、そういう話題は語られているが、この激動の時代に、東大の文化的価値が何も変わっていないことの是非を話題にしていないことは問題である。
☆優勝劣敗価値嗜好クラスとman for othersクラスが拮抗しているという点において加藤弘之初総理VS南原繁総長(戦後間もなく就任)という時代を超えての対立構造がある。それがどのように弁証法的に統一されるのか。高橋是清は、そういう意味では南原派に属するはずで、開成の初代校長の時に、そういう意味で東大にたくさん輩出することを理念として掲げたほどである。
☆しかし、単年度でみれば、増減はあるものの、上記の表にある学校からの東大輩出数の和は、毎年結局あまり変わらない。そして東大においても弁証法的統一などありそうにない。
☆また、2枚目の表に載っている学校は、東大に進学させることに第一義的な意味を見出していない。共立女子などは、昨年は京大に2名進んだけれど、東大には進んでいない。己を語らず道を語っていたら、そこに京大があったり東大があったりするだけである。湘南白百合もそうである。だから、このようなタイプの学校の輩出数は伸びることはないし、学校も入れ替わる。
☆日本の文化形成や知の枠組みを形成する上で、東大は、良い悪いは別にして、大きな影響を与えてきた。加藤弘之的な優勝劣敗進化論的な法的な枠組みを作ったのも、東大知識人の影響は大である。
☆民法典論争の後、弁証法的統一を果たそうと自由法論を展開した牧野英一は巨星であったが、弟子たちは離れていき、そのビジョンは薄霧のようになった。戦後は南原繁を中心とする内村鑑三と新渡戸稲造の弟子たちが、弁証法的統一を図ろうとしたが、そのプランの勢いは教育基本法改正によって断たれた。
☆それでも、今年の慶應義塾大学の法学部の小論文のように、実定法主義と自然法論主義の差異を問う問題が出題されている。これはまさに、東大から生まれい出た日本流儀の近代法文化の文脈の考察問題である。
☆しかし、この学校のランキングを追跡して行っても、拮抗状態は何も変わらない。何がどう変わらなければならないかを確認するという点では意味はあるが、ランキングには何の変化の兆しも反映していない。毎年反芻して、変わらぬことを強化しているかのようだ。
☆それなのに約3000人の合格者の数に注目するのもおかしなものだ。というよりも3000人のパイの競争で、その勝ち組かどうかで私立学校を選択するというのが最重要な指標だといわれていること自体、合理的ではない。
☆本当はまったく違うモノサシで選択して生きているのが生活世界という現場の出来事である。とにかく、今回の震災で明らかになったことは、自律した情報生態系を身につけることであり、そのためには最終的に人工光合成の機能を開発するコト。そのために東大に行くことはもはや最優先課題ではない。他の大学でも海外の大学でも、道を求めて歩めば良いのである。
☆生活世界の生とメディア世界の生とはかなりギャップがあったという当然のことを再確認している今のコトを忘却しないようにしたいものだが、のど元過ぎれば・・・というのも生活世界の特性/徳性でもある。。。
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