私立学校と公立学校の違い 「座談会」で④
☆今回の座談会では、「20世紀型教育」と「21世紀型教育」というキーワードというかメガネを通して展開がなされたわけだが、それは東大教育社会学本田由紀教授が中心となって、ベネッセコーポレーションのシンクタンクが協力支援したアンケートなどの調査結果である「神奈川県の公立中学校の生徒と保護者に関する調査報告書」を活用したからである。
☆それと1つ明かにしておかねばならないことは、この報告書を私立学校と公立学校の違いという対比メガネで見ない限り、「20世紀型教育」でもない「21世紀型教育」でもないそれ以上の教育を実践している「私立学校の教育」というのが本当のところ見えてこないということなのだ。
☆だから、本田由紀教授といえども、私立学校の教育については、本報告書をベースにさらに深く切り込み解釈している『学校の「空気」 (若者の気分)岩波書店2011年2月』でも、私立学校の教育については全く触れてはいない。
☆では、なぜこのデータで私立学校と公立学校の違いが見えてくるのか?それは本田由紀教授の問題関心に内包されているのである。教授は報告書でこう語っている。
2010年時点の日本は、高度経済成長期から1980年代にかけて成立していた「戦後日本型循環モデル」(本田2008)の破綻が顕わになっているにもかかわらず、それに代わる新たな社会モデルとして、市場競争を重視する新自由主義的モデルと、社会的包摂や再分配を重視する新福祉国家モデルとの間で、揺れ動いている状態にある。こうした中で、今後の日本がいかなる針路をとるかに関しては、国民の選択に依存する面が大きい。それゆえ、社会の将来を担う若い世代が、いかなる社会意識をもっており、それがいかなる要因に影響されているかを明らかにすることには意義がある。以上のような問題関心から、本章では新自由主義と密接にかかわる社会意識として「競争重視」の意識に、また新福祉国家と密接にかかわる意識として「格差縮小」の意識に注目する。これらを従属変数として、その規定要因を検討することが本章の分析課題である。
☆つまり、「競争重視型」教育と「格差縮小型」教育という大きなクラスに分け、それぞれのクラスの中学生がどのような意識の違いを持っているのか探究するのが本分析の課題なのだと。そして分析結果の結論として、次のように述べている。
競争を重視する新自由主義の支持母体は属性と業績の両面で客観的条件が有利な層であり、習熟度別授業など特定の教育環境もこの層の競争意識を煽るように作用することから、新自由主義が結局のところこうした層を利するものであることへの認識を広げる必要があるということである。また、格差縮小を重要な要素とする新福祉国家への支持は幅広いが拡散しており、この社会意識は理念という抽象的な水準に留まりがちである。より具体的な政策要求としての支持母体になりうる可能性があるのは、属性的な客観的条件は不利であるが業績的な客観的条件が有利な層であるが、この層は同時に競争をも支持する傾向があることから、葛藤を内包した存在である。むしろ、格差縮小への支持は価値規範という主観的な要因に左右されやすいことを重視するならば、社会的啓蒙によって新福祉国家への支持を広げていく可能性があるといえるかもしれない。
☆「競争重視型」教育は、教育政策上乗り越えられねばならなかったのだが、「格差縮小型」教育では、まだまだ理念的抽象的コミットメントに過ぎず、停滞していると。しかし、社会的啓蒙によって福祉国家的への支持を広げていく可能性を希望としたいと。
☆私立学校は、その系譜から言って、新自由主義的な「競争重視」型教育に与しない。また属性的に有利不利とか業績的有利不利とかにかかわらず、格差縮小を支持するから、決して福祉国家的な政策を支持するというわけにもいかない。
☆そういう意味では、「競争重視型」教育ではなく、どちらかといえば「格差縮小型」教育を支持するが、それ以上である。この議論は、極めて政治思潮の問題が横たわり、受験生保護者を対象とする今回の座談会では、わかりにくいということもあって、前者を「20世紀型教育」、後者を「21世紀型教育」と仮設定して対話を進めたのである。
☆本田由紀教授は、小学生の意識調査の時には、前者を「キッチリ型」、後者を「ノビノビ型」としたが、これもまた公立学校内の話で、私立学校だとしたら、筆者は「ワクワク型」だろうとどこかで語った記憶がある。
☆今回は上記で紹介した本の中で、本田教授は、前者を「学力型」、後者を「生きる力型」としている。これは私立学校の場合、学力も生きる力も両方やるので、その統合型だとなりそうであるが、それでよいのであるが、これだと学力型の自己否定感を生みだす課題を私立学校もそのままひきずることになり、実はそこをこそ日々私学の教師が思い悩み自己肯定感を内面から生みだせるようにしたいという教育実践が見えてこない。
☆だから、東大教育学部の教授でさえ、私立学校は経済上位層かつ文化資源上位層の子弟の学校だから、偏差値主義や競争主義、格差拡大を生みだす教育システムだと誤解してしまう。しかし、実際は、今回の本田由紀教授の分析や解釈で、そのような層でも「生きる力」型教育を欲している家庭の子弟は、必ずしもそのような「競争重視型」ではなく、「格差縮小型」の志向性ももっているということが語られている。ここは、私立学校に通っている生徒の家庭層と重なる可能性がある。ここを見逃さないで、語るには、私立学校の言葉を加えなければならない。そうでなければ、本田教授でさえも、公立学校の教育言語空間内で語らざるを得ず、「格差縮小型」教育は理念的で抽象的な段階に過ぎないという判断になってしまう。その隣で、私立学校は、日々具体的に教育実践をしているにもかかわらずである。
☆したがって、公立学校教育を語る言説ではなく、社会の未来ビジョンを表現する「20世紀型教育」と「21世紀型教育」というキーワードで置き換えた方が、時代がどう変わるか、その中で私立学校と公立学校はどのような意志決定、覚悟のもとに未来の人材を生み出していくのか、その違いをイメージするのにバイアスが多少なりともかからないのではないかというのが前提にあったのである。
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