学校を選ぶというコト~心身格の価値形成のリスクマネジメント
☆この表のリストの学校を、筆者なりに配置すると、以下のようになるのだが、これはあくまでも主観。選択者が1人ひとり配置すればそれでよい。したがって、どの学校がどこのポジションなのかは、ここでは問わない。ここでは、東大進学実績という選択指標で私学を選んだとしても、同じ価値を形成する学校を選択するとは限らないことが確認できればそれでよいのだ。
☆私立学校を選ぶことは、いかなる価値を選択することになるかは、上記の軸を表現する言葉を、その意味を変えないで、別の表現に置き換えてみるとわかりやすい。
☆さらに、かなり強引ではあるが、サンデル教授的な哲学的な価値観でわけてみると、第Ⅰ象限であるもっとも私学的な価値観は、コミュニタリアニズムになる。第Ⅱ象限はリバタリアニズム。第Ⅲ象限はコンサバティズム、第Ⅳ象限はリベラリズムとなるか。
☆公立学校は、保守的な価値観がベースだから、第Ⅲ象限に位置するが、公立中高一貫校と国立中学は、第4象限にはいるだろう。ここに公立間のGAPが生じる。つまり公平性や平等の問題が生まれるのであるが、それは今のところ放置されている。
☆また、多くの生徒が、自分が所属する象限の価値形成の影響を受けるが、そうでない場合、別の象限にシフトすることになる。その際、第Ⅱ象限にシフトした場合、そこは学校が価値を形成することはできない。したがって、他の機関が担うわけだが、それは何だろう。学校以外の文化すべてである。
☆リバタリアニズムがいいとかわるいとかではないが、極端な場合は、かなり危険である。この第Ⅱ象限にシフトするときの子どもの心身両面のリスクを、あらかじめ考えるのが学校選択の行為の根源的問題なのである。
☆何も考えも悩みもしないで、身近に公立学校があるからとか、代々私学に行っているからとかいう理由で、学校を選択することは、自分の子どもの心身格形成のリスクマネジメントをしないのと同じことになる。
*)「心身格」とは、全人的な人格のことを表現したいのであるが、全人とか人格というと、どうしても「心の教育」のような偏ったイメージになりがちなので、あえて「心身格」と表現した。
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