動きだしたグッドスクール~「わかる」は意味で「わからない」は情報
☆震災の痛み、原発事故の不安はおさまらない。それでよい。被災した方々のことを忘れずに、共に生きていこうと励まし合うためにという意味で。本当は、これが日常だったのだ。東日本大震災が起こる前までは、すべてわかった風な気分でいて安心で平穏な生活を意味づけてきただけなのだ。
☆痛みを忘れず、不安を抑圧せずに、そのネガティブで無力感とともにそれをポジティブに有力感に転換しようという51%の希望を持ちながら生きていくのが命の経済原理なのだろう。
☆ネガティブな領域や無力感のない自己肯定観だけ追い求めてきた上げ底のキャリア教育は、役に立たない。就活の悲惨な現状は、今回の震災によって、とことん否定されてしまった。痛みなき自己肯定観の空虚な姿が露呈した。空虚と無の差異がはっきりしたのである。
☆わかりやすさを追求してきた意味の病。病は無を虚化してきた。しかし、わたしたちは、わから無いということが、意味の限界を知る情報であることに再び気づかされたのではないか。
☆否定は空虚では無い。情報である。わから無いという言葉には、繋がってい無いという情報が表現されている。
☆それをどうしてわからないのだ、理由はこうではないかと虚であるにもかかわらず同調というわかる雰囲気を作っていたのでは、そこには51%の希望はない。虚が51%占め始めるのだ。
☆グッドスクールとは伸びる学校だ。伸びるとはどういうことか。それは繋がるということだ。いま、ここという時空とそれを象る環境に、集まった多様な人々の心身がつながる。もっと抽象的に言えば、自然と社会と精神の生態系という繋がりが現れる。
☆この現れは、空疎な自己肯定の意味づけでは、表現できない。「否」「わからない」という否定の情報に耳を傾け視座を目の前に広げることによってのみ現れる。
☆差異とは否定である。根拠とは否定が前景に見えている。否定のない差異はたんなる優勝劣敗的比較である。否定が前景に見えない根拠は、砂上の楼閣を建ててしまう。
☆グッドスクールの先生方は対話を始めているが、そこに「わからない」という否定の情報を差し込むことができる。もちろん、そこから限界の情報が得られるわけだから、情報を意味化しなければならない。ただ「わからない」で終わっていたのでは、つまり「わかるよ」で終わっていたのでは、生きていることにならない。
☆死んだも同然なのか。いや違う。死とは未来への情報を拓く否定なのである。その未来を拓かないでいることは虚無というのである。衰退は死ではなく、虚無である。
☆死は未来に51%の希望を託す生き様そのものである。「わからない」ままでは「わかる」と言っていることに等しい。「わからない」を「わかる」に転化することは、すぐさま「わからない」を生みだすことであり、この循環こそ死と生の弁証法である。
☆グッドスクールはその覚悟をもって、新入生を迎え、新年度を迎えている。
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