私立学校と公立学校の違い 「座談会」で②
☆座談会の2つ目のクエスチョンは、偏差値で学校を選択することは意味があるのか?だった。その前に、全国の中学生で私立中学に通っている割合はどのくらいか、会場に訊ねてみた。
☆するとやはりほとんどの保護者が認識していなかった。偏差値は母集団によって、まったく異なるのだから、相対的な結果に過ぎない。私立中学に通っている生徒はおよそ7%である。さらに首都圏に限れば、およそ3%。
☆この中で、偏差値というランキングがついているにすぎない。国語・算数・理科・社会の模擬試験の母集団の中での位置づけというだけのことである。しかも、模擬試験のほとんどが、知識を確認するものだし、読解や記述も、提示された文章の中で答えを探すものがメイン。とても子どものすべての才能を評価しているものとは言えない。
☆しかし、保護者というよりもむしろ子どもの方が全体を俯瞰する情報をきちんと提供されていないものだから、自信を失ったり、自己否定感を持ったりしてしまう。そして、それがそのまま自分の入学する学校の評価につながってしまうことも少なくない。
☆実際、4校の先生方は、入学時の偏差値と6年後に卒業する時の偏差値には相関がないことを実例を示されて語った。それは、もちろん1つには、それぞれの学校の教育力に理由があるし、中学受験の時の母集団と大学受験のときの母集団があまりに違いすぎるという点にある。
☆そして、中学受験の模擬試験は、中学入試と違い、完全に20世紀型教育の化身である。問題は、ここにいたるのである。
☆つまり、20世紀型教育は、学力ランキングで自己肯定感を持ったり、逆に自己否定感を持ってしまう格差システムなのである。ある意味自分の才能のほとんどを認められないという実は情報隠蔽がなされていることに子どもが気付かないというシステムなのである。だから、私立中学の説明会に行くと、勉学とは鵜呑みはしないことだよと励まされるのである。
☆パネラーの先生方の中にも、ペーパーテストだけではなく、面接もきちんと行わねばならないけれど、中学受験の大衆化の波に私学も勝てなかった部分がある。面接をなくす傾向が90年代以降続いてしまったのは否定できないと。生徒の才能をあらゆる角度から知ろうという試験制度に取り組む必要があるのではないかと。
☆もちろん、そうは言っても、ペーパーテストに比べ面接型の試験は、慶應義塾大学SFCのように魅力的な部分もあるが、どうしても主観的な要素というかもっとそれが進んで恣意性が入り込む可能性もあり、ペーパーテストのスコアつまり偏差値というのは、ある点で公平性があるという意見もでた。
☆このことは、実はなかなか決着がつきにくいが、中学入試だけではく、小学校入試から大学入試まで、現在進行形である。20世紀型教育のメリトクラシーをどう乗り越えるかという問題で、これは学校当局、教育行政当局だけの問題ではなく、市民1人ひとりが大いに議論すべき問題である。
☆大事なことは、どのような結果であれ、子どもが「自分はダメだ」と自己否定感を持たないような選抜試験はいかにして可能かという議論を忘れてはならないことなのである。
☆21世紀のパラダイムは、20世紀が重化学産業と大消費社会促進をまい進してきた光と影のうち影の部分をどのように払拭するかということであることは誰も否定しないであろう。そのためには社会そのものが転換しなければならないのだが。ともあれ、その点を掘り起こすのは、20世紀型教育の恩恵に浴してきた私たちにとっては、ある意味辛いことであるし、痛みを伴うけれど、21世紀生まれの子どもたちに影の部分を背負わすわけにはいかない。4校のパネラーの先生方も、そこを強調されていた。
☆だから20世紀型教育の光の部分と21世紀型教育の希望をどのように結び付けるかが私立学校の使命なのだと共通して語っていたのだと思う。
| 固定リンク
「教育と市場」カテゴリの記事
- 【三田国際の時代】2019年度第1回説明会(3)大橋清貫学園長の新たなビジョン(2018.06.24)
- 【三田国際の時代】2019年度第1回説明会(2)パンフレットと説明会とオープンスクールと(2018.06.23)
- 日経新聞 私立共学化 時代の要請と判断か(2017.04.05)
- 新≪私学の系譜≫の立場 ある学校の研修会で(2016.12.09)
- 動き始めた官民一体型学校、公設民営学校がもたらすもの(2014.11.09)
最近のコメント