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白梅学園清修EU研修 日仏国際交流の道[01]

§1 なぜストラスブールか

ストラスブールには欧州議会や欧州評議会があり、ヨーロッパの民主政治や人権を守るためにディスカッションをする拠点である。

白梅学園清修の学びのスタイルは、21世紀型教育を目指しているから、ディスカッションを大切にしている。今回のEU研修でも、CEEJAのスタッフとストラスブールの大学生や研究生とコラボして、毎日ディスカッションをしている。

しかし、このディスカッション、学びのための道具では決してない。そのことは、このEU研修で清修生は了解する。根源的な問いである「近代における人間である私とは何か」。この問いに応えようとしてもともと創設されたのが白梅学園である。

明治以降の官僚日本近代は、もののあわれや憐みの情を捨て、自己保存の進化のみを追求せざるを得なった。天賦人権説を思い切り捨てたのである。その推進力を表現するキーワードは「優勝劣敗」である。この4字熟語は、現在も「勝組負組」「格差社会」「市場原理至上主義」などの名で継承されている。

それがどんなに問題か、3・11で改めて私たちはわかったわけであるが、それは近代を切り拓いた日本において初めてのできごとではない。江戸から明治にシフトした時、明治から大正にシフトした時、大正から昭和にシフトした時、戦前から戦後にシフトした瞬間、89年のベルリンの壁崩壊時、経済の空白時、リーマンショック直後・・・。その都度問題を意識し、その直後すぐに忘却のかなたへというサイクルを繰り返してきた。

白梅学園は、そうした問題を引き受けて設立された。そして、またも日本がその問題意識を捨てるという時を迎えた。戦後のその近代の矛盾を乗り越えようとする教育基本法の改定がそれである。そのとき、白梅学園は、中高一貫部を作ったのである。白梅学園清修の誕生である。

つまり、再び白梅学園グループは、原点に立ち戻ったのである。しかしながら、この原点は、忘却されやすい。人間の存在の本質はいつのまにか道具化される。道具として扱われる人間の悲惨さは、火を見るよりも明らかなはずであるが、自らが道具化されていることを意識することは、恵まれた生活の中で生きている時は意識の水面下に眠ってしまう。

道具化。それは自由を奪われ、平等公正を壊され、友愛の絆を断たれることである。白梅学園清修にとってそれは痛みの極致に達する。そこで人間の存在を常に回復できる公共的人材として育つ環境を構築してきた。そのプログラムの1つがEU研修である。

麻布学園に入学した1年生は、沼津の江原素六の墓参にいく。創設者の精神を心の座標軸に取り込むためである。近代の矛盾との闘争の歴史を持ち、それを解決するために、啓蒙思想を捨てずにむしろその文化遺伝子を継承している政治経済の拠点ストラスブールに行くのは、清修にとっては麻布学園が創設者江原素六の墓参に行くことと同じミッション構造なのである。

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