私学の道 聖学院大学アドミッションセンターNEWSから
☆聖学院大学の広報企画部長山下研一氏が、「聖学院大学アドミッションセンターNEWS(2011.5.19)」で、次のようなアピール文を書かれている。聖学院グループ全体の思想であると同時に、聖学院が創設以来、≪官学の系譜≫と対峙してきた≪私学の系譜≫の立場を今も堅持していることの証しでもある。紹介したい。
おかげさまで今年も定員割れすることなく新年度をスタートすることができました。まずは皆様のご助力に感謝申し上げます。
しかし、今年はなんと言いましても3月11日の東日本大震災です。その後の原発事故も含め日本全体が大変な悲しみと苦しみの中にあります。特に教育機関は、このことをどのように捉え、教育に展開していくのか大きな課題を背負わされたといえます。
3・11を契機に日本が変わるのか、それとも元に戻していくのか、大きな選択を迫られていると原発のことひとつをとっても二つの道があることがわかります。
教育においても、これまでのような(といっても限界が見えていたわけですが)競争を駆り立てることを次世代の若者に強いるのか、駆り立てるのではなく、次世代のことを自分たちで「考えて」いくことができるような教育にしていくのか、選択の時にきていると思われます。
聖学院大学がどちらの道を目指しているかはお分かりだと思います。
若者に「希望を与える」ことができない社会というような言い方や「希望格差」という言葉が示すように、われわれ「大人」が子どもたちに「希望」を与えるものだと思っていますが、私は数年前から「そうではない」と疑ってかかっています。
「希望」の実体は、次世代の「子ども」たちそのものであり、「社会」は彼らに「希望を置く」ものではないかと考えているのです。若者に希望を置く(かける)ことができない大人があれこれと「今の若者は…」と言い続けてきたのです。
頼りなげな彼らの中に私たちが「希望」を見出していける社会。それを後ろからまさに「バックアップ」していける社会を作れるかが、2000年以後の日本の課題であると思えるのです。
その線で聖学院大学はぶれずに大学形成に取り組んでいます。他にモデルを見つけることができないようなこと、それだから、なかなか評価も受けにくいことを怖れずに実行してきました。それは、実は「先進的」というのとは違うものです。むしろ”Return to Basic” が聖学院大学の考える大学教育に近いと思います。
教育の基本は何かと考えていくと、どうしても「考える」ということに突き当た
ります。「競争」ということは出てこないのです。私たちは今回の震災にあたって何もできない「もどかしさ」を感じました。おそらく日本中の人が。でも2ヶ月が経つとその「もどかしさ」が何もしていない
のになくなっている事実に気づかされます。聖学院大学は教育の中でこの「もどかしさ」を忘れず、どう「行動できる学生」を作れるかに今ボランティア教育ということを通じてチャレンジし始めています。
今年もぜひ聖学院大学を応援してください。
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