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グッドスクールを探そう[02]

☆グッドスクールは、私立中高一貫校にあるのだが、すべての私立学校がグッドスクールであるかどうかはわからない。少なくとも20世紀型の社会にこだわらずに、21世紀型社会に対応する学校でなければグッドスクールにはなれない。

☆しかし、21世紀型社会とは、私立学校にとっては、明治政府が進めた優勝劣敗型社会でないことだから、私立学校の誕生した時からの理想が、21世紀型社会に重なっているだけである。それゆえ不易流行なのであるが。

☆だから、英語教育にただ力を入れているだけでは、21世紀型教育をおこなっているということにはならない。近代化路線の光と闇のうち、進化が闇の場合もある。よって英語教育をただやるというのは、その闇の近代化路線を後押ししているにすぎない場合もあるのだ。

☆たとえば、企業が社内公用語にするという場合、それは闇の近代化路線の強化に過ぎない場合もあるわけだから、英語を活用できるようにすればよいというものではない。

☆とはいえ、英語はできなければならない。なぜかというと世界コミュニケーションができないからだ。世界コミュニケーションとは、近代化路線の闇とどうやって世界の人々と協力し合って阻止するかということである。

☆それには、世界にとって公共的な正義は何か、各国の文化的特性を持続しながらいかにして公共的正義を形成できるのか議論できる知を養成する必要がある。この議論をネット上で行い、ある程度成功を収めたのがフェースブックやtwitterを駆使することができるクリエイティブクラスだったのである。

☆この公共的正義と各国の文化的特性の平衡を生み出す議論はいかにして可能か?他者の判断指標に依存していたのではそれはできない。したがって、量的リサーチ発想、統計学的発想だけでは、事実を理解する可能性が高いだけで、最終的に選択判断ができない。

☆この選択判断を可能にするのは、公共的でありながら個人の選択判断座標軸である。聖光の工藤校長は、心の座標軸と呼んでいるものである。この心の座標軸は、建学の精神を鵜呑みにするだけでは、形成されない。生徒自身による批判に耐えられたときに、それは学校と生徒の共有の選択判断基準、つまり心の座標軸になるのである。

☆もちろん同時並行的に英語教育がなされなければならないわけであるが、そのような教育がいかになされているかを知るにはどうしたらよいのか?

☆それは新中1をはじめとする入学時、新学年時のオリエンテーションを見れば了解できる。海外研修の質を問えば了解できる。

☆オリエンテーションだけは、先生方が自前でやるプログラムが必要である。もちろん、外部の知とつながり、コラボレーションすることは大いに構わないが、お任せは最低だ。

☆また、海外研修もたんなる語学研修で終始するのも考えものである。もちろんあらゆる体験は、生徒によって大いに刺激になる。しかし、それが学びのプログラムになっていないと、体験によって気づくのは、生徒次第ということになる。生徒次第というのはプログラムとは言わないだろう。

☆プログラムは窮屈である。もっと自由をなどというのは、ナンセンスである。アドリブもまた計算されねばならないほど、プログラムデザインは教師の最も重要な技術である。

☆というのもこの技術は、生徒の新たな発見がどこで起こるか予想し、予想が外れたときには、臨機応変に変えていくコミュニケーション行為であり、パッケージ通りのプログラムを強引に遂行することではない。生徒の反応に適切に対応していける柔軟な感性が必要なのである。

☆この感性がないコミュニケーションは、外から見たらそうなっているだけで、民主的な感性とはいえないから、世界コミュニケーションとは言わないのである。グッドスクールの校長あるいは教頭は、柔軟で空気を読むことができ、共感を共感できるコミュニケーション行為をとる。

☆共立女子の渡辺校長、八雲学園の近藤校長、東京女子学園の實吉校長、富士見丘の吉田校長、聖学院の平方校務部長、洗足学園の前田校長、順天の長塚校長、かえつ有明の石川教頭、海城学園の中田教頭、佼成学園女子の江川教頭、桐光学園の松本先生・・・。思いつくだけでもたくさん存在している。

☆もちろん、大変重要なのは、教科主任の役目を負っている先生方。この領域の人材こそ柔軟で空気が読め、共感を共感でき、なおかつ最先端の知の成果を学び続ける努力を怠らない人材。八雲学園や聖学院、かえつ有明の部長や教科主任とコミュニケーションをとってみると、そのことがよくわかるはず。私立学校の人材は層が厚い。まだまだ宝物のような逸材が存在しているに違いない。

P.S.

東京私学教育研究所所長清水先生(前鴎友学園校長)、麻布の氷上校長、白梅学園清修の柴田副校長も極めて重要な私学人。立教女学院の山岸教頭もそうである。これらの私学人とは、受験という枠組みを超えて、対話すると、21世紀の扉が開くはず。マスメディアが、このような中等教育の重要人物にもっとインタビューすれば、21世紀の世界を救う教育の質を発見することができるだろう。

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