質の探求邁進 白梅学園清修
☆先週土曜日、白梅学園清修で学校説明会が開催。最後に柴田副校長がぶっ放したトークに感動した知人が、ぜひ読んで欲しいとメールを贈ってくれた。紹介したい。
本日はご来校いただきましてありがとうございます。
最後に私から一言ご挨拶を申し上げます。現代、と言うまで、大げさなことは申しませんが、まさに今、学校教育が担うものはなんだろうか?と考えながら、学校運営にあっています。福島原発の際、原子力安全保安院の方々、東京電力トップの方々、いわゆる、スーパーエリートと称される人たちが、平謝り、土下座をする姿がメディアに流れることは今までなかったのではないでしょうか?少し記憶をたどれば、JR西日本での痛ましい事故も同様で、何もなければ、普通にスーパーエリートの道を全うしたはずだった人たちが、そうではない出来事に直面している。
今からは、バックミラーを見ながら運転するような時代ではない。過去の出来事の延長線上に未来はないと思います。今申し上げたメディアに出てくる場面には、いつも男性ばかりが登場しますが、海外の首相級のように、これから日本は女性の力が本当に必要になってくるのだろうと強く感じます。
我々の父母の時代から、私たちが今過ごしているこの時代を見た時に、世の中、社会は、昔からずっと混沌としていて、矛盾、理不尽なことが数多くあるのが現実だと思います。世の中が、文化的な生活が進むに従って、社会は美しくなり、機能的、衛生的になり、それだけではなく、整理されてしかるべきだという風潮が醸し出されています。
さて、学校と言うところはどうでしょうか?みんな平等と言う意識が、強くなり過ぎて、いつの間にか、みんな同じになってはいないだろうか。世の中は混とんとしているのに、学校だけが、どんどん文化的なシステム、見える化が進み、整理され過ぎた組織になっているのではないか。
先日、起こった学校が保護者を訴えるという事件は、学校というところへ混沌さを認めない素地が引き起こした事件ではないかと思います。果たしてそれでいいのでしょうか?人間は、経験が想像力を生みます。何も経験してないところからは、何も生まれませんので、何も感じません。ですから、何も経験していない子どもたちが勉強しなかったら、どうなるのか?ということがわからないのは、当たり前のことなのです。お金がなくて困った経験がないので、今怠けていたら将来困るという想像力は働かないのです。
やはり私たちは、学校生活において、社会に出るために、勉強を含めた様々なことを体験し、あるいは体験させ、世の中に送り出していくことが学校の役目だと思っています。モンスターペアレントとまでは行かなくとも、批判を受けないように受けないように立ちまわる教育では、学校としての存在価値が薄れてしまうことを私は危惧しています。
教育のやり方には、大きく分けて二つあるように思います。ひとつは、知識を伝え、記憶させる。次のテストに向けて、そのテストに対応させていくために教育内容を変化させていく。即効性、表層面の教育と言うものでしょうか?これに対応している最たる例は大学受験予備校です。その目的は、喫緊のテストをクリアすることを目的としています。
もうひとつは、表層という言葉に対して、深層の部分、普遍の部分とでも申しましょうか?ここで、仏さまの指という挿話を一つお話させていただきます。ご存知の方もいらっしゃると思います。
『仏様がある時,道端に立っていらっしゃると,一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は,そのぬかるみにはまってしまって,男は懸命に引くけれども,車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても,どうしても車は抜けない。その時,仏様は,しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが,ちょっと指でその車におふれになった。 その瞬間,車はすっとぬかるみから抜けて,からからと男は引いていってしまった。指が触ったことを男は知らない。自分の力で抜いたと,思っている。』
できなかったことをできるようにし、しかもそれを、自分の力であると思い、次の困難に出くわしたときに、勇気と自信を持って立ち向かっていけるようにすることが教育本来の普遍の姿ではないかと思います。私も30年近く教員をやらせていただいています。直接かかわった生徒たちだけでも、数百人、あるいは千人以上いるかもしれません。時として、そんな彼ら、あるいは保護者の方から、「先生、ありがとう。先生のおかげです」という身の縮こまるような言葉を頂戴したこともありますが、そんなふうに感じさせてしまっているうちは、まだまだだ、と考えています。
教育を担当する私たちは、経験を通した先見性のある想像力とそれに基づく入念な準備、様々な仕掛けを携えておかなければいけません。今申し上げた前者、喫緊の大学入試についても対応していくことは当然ですが、後者、生きていく自信、困難に直面した時に立ち向かう勇気を育てていくことが、12歳から18歳を預かる私たちといたしましては、そのことを抜きにしては学校運営はあり得ないと思っています。
まだまだ卒業生を出していない私たちでございますが、開校6年目を迎え、ますますその普遍の意識を高め、教育内容の充実を図ってまいりたいと思います。
本日はご来校ありがとうございました。
☆実に情熱的である。この情熱に、生徒たちは本当に勇気をもらって学園生活を楽しみ、他者の痛みを感じながら自己実現の道を歩んでいると思われる。
☆しかし、大事なことは質を可能態としているだけではなく、実現態にしなければならない。それを実現態にするには、そうはいっても見える化も整理も必要である。清修は、教育の質を探求する道を歩みながら、それを形にする活動もしてきた。
☆大学受験指導プログラム作り、そしてその大学受験以上の学問知を身につけるための教養をすべての教科で培っていくプログラム作り。量も質も、もちろん重要なのである。
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