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脱偏差値! 「座談会」で③

☆少し私見だけ記述する。前回も今回もそうだが、この座談会は小さな活動かもしれないが、ある意味がある。それは、パネラーの先生方の話を聞いて、はじめて偏差値が他人が決めた尺度で、それに苦しめられてきたということに気づきましたと感想を抱く保護者が存在することである。

☆ものごとを判断するとき、他者の物の見方や感じ方は重要であるが、自分の判断も大事である。質を探求するとき、コミュニケーションが大事である。視点の違う人々との対話が大切で、そういう視点の違う考え方のデータを集めることや違う人々の視角で分析をすることをトライアンギュレーションという。三角測量と同じ感覚。

☆自分の基準と立場の違う2人以上の他者の基準をすり合わせることである。たいていの受験生は、塾に立脚しているから、偏差値はその業界の1つの基準である。私立学校の理念に基づく普遍的な基準もまた1つの基準である。本来マスメディアは第三の視点であって欲しいのだが、今のところ塾業界にニュースソースやデータベースを依存しているから、事実を扱う立場としては、塾業界寄りになる。だから、筆者のようなブロガーの視点も少しは参考になるかもしれない。

☆そのことを知った上で、塾業界の基準は、必ずしも自分軸ではないということに気づくことが大事である。どれを基準にするのか選択するのもよいが、自分軸を新たに形成することもよいだろう。もちろんエゴ理念では質の教育を探し、参加し、当事者となって行く際には、葛藤が起きてしまうが。

☆アリストテレスは、人間は社会的政治的動物であるといったが、経済的動物でもある。その広い意味で、学校選択の基準を巡る思考は、政治経済的な判断でもある。学校を選ぶことは、自分の子どもの未来の社会をいかに開いていくかということにもつながる。

☆この点を思考停止させていたのが、今までの日本の教育だった可能性がある。エジプト革命ではないが、国によって守られレールに乗っていればよい時代から個人が世界の動きを知って判断してその世界に影響まで与えてしまう時代である。自分の内なる座標軸を形成することに思いを寄せるチャンスが中高一貫校入試でもある。少し大げさか(微笑)。

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